2012年4月20日金曜日
三好誠人展を終えて-謝辞
2012年4月18日水曜日
三好誠人展を終えて-職能領域の可能性
中澤さんも書いてあるように、今回の会場は華やかだ。御堂筋ショールームから移転しての第一弾でしたので、会場がいままでと違う雰囲気だったということもあったかもしれません。また展示に服飾があったこともあるでしょう。いつものイベントと違い建築系以外のオーディエンスもたくさん参加して頂いており、真新しいアリアフィーナSRに心地よい華やかさと緊張感が漂っていました。
当日イベントはやはり面白かった!やっぱり三好さんは引き出しが多いし、ファッションから建築をみたり、またその逆もしかり・・・。展示に関して服飾はリアルに試着できたりして体感できるし、それに呼応してディスカッションも盛り上がりました。
その中でも特にファッションデザイン学生の質問がすごく印象に残っています。「建築の「構築性」がファッションデザインにも表れているのでは・・・。」領域を跨いで新しい価値をつくりあげていく三好誠人。そんな「人」が浮かび上がった面白いイベントでした。
次回以降も建築以外のフィールドから、SCMAイベントに来て頂きたいと思います。面白いゲストを呼んできますのでご期待下さい。
文責:牧野高尚 10838
2012年4月16日月曜日
三好誠人展を終えて
こういったトークイベントにありがちな不完全燃焼感も、イベント後の懇親会での、三好氏を囲んださらなる歓談やブランド作品の試着などで大いに盛り上がりました。
本当にたくさんのご来場ありがとうございました。次回以降の企画も是非お楽しみにしておいてください。
2012年4月9日月曜日
『気づきを着る〜三好誠人展』ー出展に際して
2012年4月8日日曜日
『気づきを着る〜三好誠人展』ー作品展
ブログにて告知してきた
『WEARAWEARE』気づきを着る 〜 三好誠人展
富士工業グループ大阪ショールームにて、いよいよ作品展が始まります。
2012年4月6日金曜日
『気づきを着る〜三好誠人展』ー職能領域の可能性
WEARAWARE 『気づきを着る〜三好誠人展』
職能領域の可能性
今回のゲストの三好さんとは建築士会青年委員にて知り合いました。その後、SCMAのイベントにも顔を出して頂いたりして、少しばかりディスカッションもしましたが、三好さんは我々とは少し違う職能領域をお持ちの方で、建築家として、あるいは服飾デザイナーとしての活動が三好誠人氏の仕事とどうリンクし展開していくのか分かりませんでした。そんな折、SCMAイベントにゲストで来て頂くことになり、かねてから興味のあった職能領域の可能性について尋ねてみたいと思います。たぶん根の部分は「等価なデザイン」であり、(当日に本人から説明を聞くと良く分かる。)建築士、服飾デザイナー、そして専門学校非常勤講師(インテリア)とこの3つの職能領域を持つことの今後の可能性を具体的に紐解きたい。
文責:牧野高尚 10645
2011年11月3日木曜日
建築を楽しいと言えるように
建築をあきらめないために、深く追求しようとしている者もいたし、幅広く対応しようとしている者もいた。
イベント終了時に書いて頂いたアンケートでも、建築の深さや幅広さを感じたという意見が多くあり、その多様性が上手く伝わっていたのだろう。
活動や考え方のなかには、すぐにでも実践できるものもあれば、立場や環境等の違いから全くあてはまらないものもあったとは思う。
しかし、あきらめない姿勢は、感じてとっていただけたのではないだろうか。
それが自分なりのあきらめない姿勢を見出しすきっかけになったら嬉しく思う。
建築の世界は、いろいろな意味で厳しい。
しかし、それ以上に楽しくもある。
何年後かに会った時に建築を楽しいと言いあえることが、このイベントの真の成功だと思う。
文責:中澤博史
2011年11月1日火曜日
『建築をあきらめない』を終えて -可能性の発見-
『建築をあきらめない』を終えて 〜可能性の発見〜
2011年10月26日水曜日
「あきらめない」
簡単に成功や獲得できそうなもののことをいうときに「あきらめない」という表現は使わない。
既に成功や獲得できたものをいうときにも使わない。
容易には手が届かないけど、頑張ったら手が届く可能性がある場合に努力することが「あきらめない」なんだと思う。
5人のパネリストはみな建築の世界で生きている。
そういう意味では、既に手が届いている状態だといえる。
では、何に手を届かせることが難しく、「あきらめない」のか?
雑誌に掲載されるような作品を創造することなのかもしれないし、建築をつづけることなのかもしれない。
5人それぞれで、違うと思う。
失恋したときや受験で不合格だったときなど、人生にはあきらめないといけないことが多くある。
あきらめが肝心なんていう言葉もあり、そこに執着しすぎるのは良くない。
でも、まだダメだという結果がでていないのなら、立ち向かわないと道は開けない。
そのためには「あきらめない」が必要だ。
文責 中澤博史 - 9151 -
2011年10月23日日曜日
『建築をあきらめない』建築することの魅力
自分を建築設計へとつき動かしている『もの』は何だろう。
嫉妬や苛立ち、目に見えない屈辱感や焦燥感・・・・、ふりかえってみると創作の原動力はいつもそんな負の力が大きい。それはまだ自分が納得する『こと』が出来ていないからだ。僕はまだ建築において『こと』を成し遂げていない。
だから、建築における僕自身の身の回りに起こっている『こと』について、とても鈍臭い状況ながらも、まずは否定し、拒絶し、非難してみる。してみると言ったけれど、ほとんどが本能に近い感覚で、いつもその存在を受け入れようとしない。
それは無視することではなくて、自白すれば、絶対的な知識量がない分、おそらく他人の何倍もの労力を使って、使えない脳みそをフル回転させて、理解しようと努力する。その結果はいつもそれが自分の求めている『こと』でないことに気がつく。
最近はそういう自慰的な行為が自分自身を辟易させて始めているのだけれど、あわせてどんどんと先鋭化してきている感覚が生まれてきていて、朧げながらも建築設計へとつき動かしている『もの』が、創作という欲望だということに気がつき始めた。
なんという面倒くさい道を選んだのだろうと思う。
いろんな後悔が積み重なっているけれど、最近では、それは必要な時間を過ごしたに過ぎないと過信することにしている。
『建築をあきらめない』ということで語り合うと聞いたとき、ものすごい直球なテーマだと、正直、重いなあと感じたけれど、それは最初の『建築をめぐる22の寓話』というテーマで御為倒しを言ってごまかすことで納得しようとしていた自分への戒めと、再度、考える場を与えてくれた機会であるという気がした。
今の僕自身にとって、あらためて贖罪する場を与えてもらった気がしていて、建築をあきらめないという『こと』を語ることによって、建築において成し遂げていない『こと』を浮き彫りにできたらなと考えている。
文責:筑波幸一郎 - 9055 -
2009年9月1日火曜日
できることとすべきこと
いつも舌足らずな結果に終わる。創作活動は概ねそうなのだけれど達成感とは程遠い。建築に対する個人的なバイオリズムがあるのだろうけれど、それに近寄ったり離れたりする感覚は常にあり、不安感を感じることが多い。この不安感は何なのだろうと考える。
おそらくそれは建築で「できること」は数多いけれど、自分自身が「すべきこと」を見出すことの難しさを実感しているのだと思う。それから逃れることは出来ないなと最近あらためてはっきりと感じるようになった。当たり前のことと言われるかもしれないけれど、どこか違和感を感じている昨今の建築界の状況を見てみると、実は根深いことなのかなと・・・。
ひとつ前のエントリーで森本氏が語っている【違和感】という言葉を借りれば、その奥にあるものが実は、自分自身が「すべきこと」の根っこになると感じている。
数多ある「できること」の選択肢の中から「すべきこと」を見つけることがひとつ、それ以外の「できないこと」の中から「すべきこと」を見つけることを加えて、あらためて自分自身の建築について深く考えてみる。
そんなこんなで、年末に向けてひとつ仕掛けを進めている。
文責:筑波 -00455
2009年8月19日水曜日
違和感を持つこと
「学生時代から想い続けていた建築・社会に対する「違和感」を、当時は表現する術がなかったですが、今になって表現できるようになってきたと思います」という言葉でした。
その建築家の抱いていた違和感とは、「モダニズムを理想型とする建築教育」、「洗練化されていくデザインの兆候」だったといいます。
辞書で調べてみると違和感とは、「周りのものと関係がちぐはぐで、しっくりしないこと」とのこと。論理的なことではなく、感覚的なことだということがわかります。感覚としてモダニズムと洗練デザインに違和感を覚えるとは、教授陣にとっては扱いづらい学生だったろうなと思いますが・・。
たとえば現在、建築雑誌をにぎわしている白い空間に対して持つ共通の違和感。よく友人と「同じような感じの建物が多いなあ」と話していますが、わたしはむしろ違和感が同じ方向に偏ることに対して違和感を感じてしまいます。多様な価値、多様な感覚が存在し、それを拾い上げるメディアがある状態が健全なのではと思います。現在に生きる人たちの感覚が似てきているのでしょうか。野武士の時代1970年代のゴツゴツした男性的で多様な感覚・思想をみてみると、そう思います。
それぞれが、生い立ちや経験から、現状に対して自らの感覚から沸き起こる違和感を持ち続け何らかの形にできた時、結果的に様々な建築が立ち現われるではないかと思います。
そのインタビューの最後に、「最近の学生をはじめ若い人は10年前程の建築しか興味がない状況を憂い、建築の歴史の話を常にするようにしている」語られていました。そこに感覚が似てきているという現象のヒントがあるように思いました。
文責:森本 -00317
2009年8月11日火曜日
世代論で語るとすれば
私が建築を目指したのはかなり遅くて大学3年に進んでからでした。それまでは漠然としながらも映像かデザインへの道に進んでいくのだろうと考えていました。
今となってはどうしようもないことですが、まじめに建築を学んだ記憶はあまりありません。私が建築を学んだ京都市立芸術大学には建築学科ではなく、環境デザイン学科という広義での空間、身の回りにあるものすべてを対象としてを学ぶ専攻がありました。今ではどこの大学でも建築系の「環境デザイン」という名称の学科がありますが、当時は何をするとことなのかを説明しなければわかってもらえないということがよくありました。
私自身が本当の意味で実務に関する建築を学んだのは社会に出てからでした。しかし、大学において建築というものを全く学ばなかった、学べなかったというわけではありませんでした。私が、建築の道に進むことに大きな影響を与えてくれた恩師との出会いがありました。現実の設計技術や設計手法を学ぶというよりも、多くの時間を『建築とは何か』ということを言葉ではなく、もうすこし上位の感覚で時に厳しく、時には優しく指導された記憶があります。
私は1968年生まれで、建築を学んだのは1990年初頭になります。
世代的な話をすると60年代生まれの建築家は「フラット派」「ユニット派」などと軽称で呼ばれ、それ以前の上の世代の「先生」と呼ばれるスタンドカラーの建築家イメージと対照的な存在、カジュアルな世代として一括りにされていますが、現実的に、現在、それらを担っているのは1970年以降の世代であり、1960年代の世代は結果として『建築を喪失』した年代だと考えています。
というのも、豊かに建築を学べたが故に、積極的に建築を学ばなかった世代であり、建築家=先生(1960以前)という図式から脱却できず、かといって建築家≠先生(1970以降)にもなれないという過渡期にいるからです。それゆえ上下の世代から挟まれてその曖昧さゆえにどっちつかずの存在になっているように定義されています。
しかし、実は、建築(さらには建築以外のすべて)において、2010年以降の動向を大きく担っているのはこの60年代生まれの世代であると私は考えています。
今、現在、脚光を浴びている建築家≠先生(1970以降)の世代は、全く正反対のようでいて、実は同じである保守的な存在の建築家=先生(1960以前)があるからこそその存在があるわけで、単独での存在定義はありえません。そのどちらもがどちらもあまりにも保守的であり、創造的であるとは思えないのです。しかし、60年代生まれの世代は、その間にあって、それらの遍重を調整する役目を担い、真の意味での古い価値観と新しい価値観を読み取り、さらには見えざる価値観を探す次の世代だと信じているからです。
あくまでも世代論で語るとすればですが。。。
文責:筑波 - 00242 -
2009年8月6日木曜日
生まれた年代で何が見えるか
それは、十年単位で時代が変化し、建築の思想や経済の変化が著しく変わるものでなく、10年という単位が馴染むからだろうか。私は1969年生まれ、つまり60’sに属する。生まれた世代でいえば60’sの最後尾につけているとい言う訳だ。先頭は1960年生まれとなる。彼らは現在では49歳、今年50歳になろうとしている人達だ。
私は建築家にとって40歳からの10年間は非常に大切で、個人差はあれどこの10年は確立した自己を熟成させていく10年だと思っている。そう考えると60’sの先頭に立つ方々は、その成熟期を越えて、さらなるステージへ登ろうとしている人達ともいえる。
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私の手元に「新建築 住宅特集 1988年12月号」がある。
これは、住宅特集が「JA house」として刊行され始める前の最後の号だ。「50’sNOW」という特別企画を組んである。今私がこの雑誌を手にして、当時購入した時と全く違った意味をもつ書籍として存在する事に非常に面白みがあると思っている。「生まれた世代」で選別し、その建築家たちがどう進んでいこうとするのかを新建築的に期待感をもって取り上げている。前段にもふれたとおり40代からの10年間が建築家としての成熟期であるとすれば、この特別企画に取り上げられた、新建築的若手有望建築家たちは現在、さらなるステージへ登り始めたあるいはそこで10年を成し遂げた建築家の集団という事になる。
この50’sの「今」に自分の10年先のスタンスや価値観あるいは時代や経済状況、建築思潮をオーバーラップさせて、より自分に近い、あるいは自分の好きな建築家を追いかけていくと、様々な面白い事が見えてくるのではないか、さらに自分の振る舞うべき姿もが見えてくるのではないか、そう思っえば楽しい見方ができるのではないかとおもいここに書くことにした。
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ここに取り上げられた50’sを敬意をもって列記する。
あなた方は、彼らにどうオーバーラップすることができますか?
入江経一
シーラカンス
首藤廣剛
飯島洋一
石田敏明
高橋晶子+高橋寛
沖健次
坂 茂
白旗定幸+岡田裕康
妹島和世
飯田善彦
渡辺明
武田光史
岡崎恭子
芦原太郎
福垣哲朗(竹中工務店大阪)
平倉直子
団紀彦
岸和郎
木下庸子+渡辺真理
内藤廣
西本圭敦
宮森洋一郎
小川晋一
三浦周治
古谷誠章
野田俊太郎
小林克弘
横谷英之(日建設計東京)
井上章一
北川原温
アモルフ
小川明
隈研吾+篠原聡子
小室雅伸
宇野求
渡辺誠
岡河貢
杉浦伝宗
高崎正治
木村博昭
野沢誠
彦坂裕
宮沢秀治
小松清路
染谷正弘
アーキテクトファイブ
三沢康彦+三沢文子
近藤春司
鈴木隆之
宮本佳明
菊池誠(磯崎アトリエ)
以上、面白いでしょ。
新建築住宅特集1988年12月号より
文責:進藤 - 00198 -
2009年7月29日水曜日
建築の見方
陶芸・建築と分野は違えども、ものをつくっていく上での問題意識には、同時代的なものがあると感じずにはいられませんでした。今の時代を包むもやもやとした空気感を共有しているということでしょうか。ちなみに上記の中の「伊賀焼」という言葉を「建築」に置き換えれば、今の自分の想いにまさにリンクしていることに気付きます。少し強引ですが・・・。
わたしは現在、活躍されている建築家にお話を伺う機会あれば参加したり、歴史上重要な建築を再度見学したりと「建築の経験」を増やしていこうと意識しています。それはTさんが言うところの「伝統(建築の歴史)を素直に理解していきたい」ということなのかも知れません。そうすることで建築の見方が変わってきていることを感じ始めています。それは、「好きな建築」が変わっていくことでもあります。自分でもどんな建築が好きになってくるのか楽しみです。理解したあとどのように展開するかが一番大切ですが・・・。
文責:森本 -0144
2009年7月21日火曜日
『好きな建築は何ですか?』
私にとってこの質問は非常に厄介な質問のひとつです。
『好きな』という言葉にたくさんの意味が含まれていて『なぜ好きなのか』という補足説明をしなければ容易に答えることが出来ないのです。いや、補足説明をしても『なぜ好きなのか』というその本当の意味を理解してもらうのは難しいと考えています。
建築を志したのは大学に入ってからで、まだ何をどう目指せばいいかわかっていなかったと思います。
それでも、建築を志した時に大きな影響を受けた建築との出会いがありました。
私が初めて建築を意識したのは「桂離宮」との出会いからです。大学3年の秋、初めて桂離宮を訪れました。それまでに書籍で見てはいたのですが、やはり建築や空間は実際にその場に行って体感しなければわからないもです。なんとも思っていなかった古建築のひとつだった桂離宮ですが、実際に見て初めて気がつくいろいろな美しさに大きく感じてしまったのです。
実はもうひとつ、大きな影響を受けた建築があります。
それはコルビジェの「ロンシャンの教会」です。24歳の冬、東パリ駅から電車でその地を訪れ言葉も通じないのにタクシーで「ロンシャンの教会」を訪ねました。冬の朝の深い霧靄につつまれて小高い丘にその建築はありました。訪問したタイミングが良かったのか他に誰もいなくて、ただひたすらにその場を体感したのを覚えています。
何故このような形がうまれたのか、なぜこれほどまでに光を意識することができる空間なのか、とにかくわくわくしながら舐め尽くすように見学しました。
実際に自分の建築表現にそれらの影響が直喩であらわれることはありませんが、底流にある無意識の意識には大きな影響を持っています。しかし影響は受けはしたのですが、結局、自分が目指すべき建築は、その原点を形づくっているものは、「桂離宮」や「ロンシャンの教会」といった具体的な建築ではなく、その時、その場に居た「自分の感覚」だということを今は強く意識しています。
いつも言葉を探す。
それでも最適な言葉が見つからずにもどかしく思うことが多い。
それでも言葉を紡がなければ意志を伝えることができない。
建築をつくることも同じです。
文責:筑波 - 00070
2009年7月14日火曜日
建築メディアに乗っかってみる。
進藤(Shindo)の「S」
筑波(Chikuba)の「C」
森本(Morimoto)の「M」
建築家(Architect)の「A」
からなる造語である。
私達は「SCMA」を「スキマ」と呼ぶことにした。
「スキマ」はお解りの通り「隙間」という意味である。
この「スキマ」という言葉ににいろんな意味をかぶせていくこともできると思う。
まずは、メディアの隙間「建築メディア」乗っかってみることにした。
さして有名でもなく、アカデミックでもない私達3人が、
ブログやポッドキャスト、動画配信などといったツールを使って
すでにブレイクしつつある「建築メディア」に乗っかって、
いかなるものを発信できるかを試みてみる。
皆さんお楽しみに!など言いわない、私達が楽しみながら好き勝手やることをここに宣言する。
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私個人的には、今年40歳になった。
1969年生まれのラスト60’sである。
私は1980年代に娯楽文化を身に着け、1990年代に建築文化を身につけた
いまどきの言い方をすれば、いわゆる「アラフォ」である。
個人的に感じるのは、建築業界のアラフォは働き盛りであるにもかかわらず
あまりメディアや建築文化の牽引者として表に出ていないのではないかということだ。
なぜ、そんなことになっているのか、なぜ私はそう思うのか。
私なりに考えると、右肩上がりの経済状況のもと、バブルと言われる時期に
大いに遊び、大いに学び、建築に絶対の自信と理想と希望を持ち社会に出たとたんに崩壊。
そう、いわゆるバブルが崩壊した。
経済の華やかなる時期に建築を学び、経済の衰退と共に建築をつくってきた私にとって
この時期に建築に携わるものとして生きていくことが「不幸」に感じていた。
しかし待てよ?!とここにきて思い始めた。
逆にこの時期に建築した私達は、かけがえのない体験しているのではないか。
最近になってそう思うようになったのだ。
元気がないのは、40という中途半端な年齢からくる「常識」や「モラル」に邪魔され、
かってに「大人しく」なっているからではないのか。
だったら、逆にあの時期、あの年齢でしか味わえなかったバブルの勢いで
あの時のように「やんちゃ」してやろうではないか!と
仕事はどっち道 まじめに取り組む性分なんだから、
おもっきし建築を遊んでしまえ!というわけである。
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そんな折、筑波氏と森本氏、3人で何かやろうという事になったわけである。
みんな、建築好きのいい奴らだ。
このSCMAの活動で、自分の中に取り決めたルールがある。
それは 建築と世代に真摯に向かい合い、建築を遊ぶ である。
そして アラフォ世代をいかに巻き込むか である。
ここでの仕掛けが、どう広がっていくのかが楽しみである。
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文責:進藤 - 00001





