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2012年4月19日木曜日

WEARAWARE 気づきを着る〜いきいきとした場


WEARAWARE 気づきを着る〜三好誠人展 終了


無事に三好誠人展を終えることが出来ました。ご来場頂いた方々、そして三好さんに心よりお礼申し上げます。
当日は展示のみからでは伝わらないであろうお話しがトークライブでは聞けました。内容は後日発行されるアーカイブに譲るとして、当日のトークライブではいきいきとした場がありました。この空気感を今後の活動にも確かに盛り込んでいくことで私たちの発信がゆるやかに発展していくような気がしました。
やはり三好さんの話から伝わるのは、まずはその事が「好き」であることが大切ということ。そして少しずつでも行動に移すということ。そして自分以外の他者を巻き込むということ。その事で緩やかに自分と他者み「気づき」という衣をまとわせてくれるのだということを私は理解しました。
服飾という事で、それに袖を通し、触れてみて着てみることを体験するオーディエンスを見て、ファッションってとてもアクティブな行動や状態を引き起こすものなのだなと私自身のファッションに対する見方が変わりました。


最後に、ここで展示という一つの静止した状態の三好イズムをビジュアルで残すために少ないですが展示の写真を掲載します。




文責:進藤勝之 10872









WEARAWARE http://www.wearaware.com/index.html

2012年4月16日月曜日

三好誠人展を終えて

WEARAWARE 気づきを着る〜三好誠人展 終了


今回の企画展のクライマックスである13日のトークイベントでは、建築に関わりながらも、建築以外の、服飾デザインやドバトの研究など、意外な活動をおこなっている三好誠人氏の示唆に飛んださまざまな話がとても面白く、来場して頂いた方々もいろんな意味で楽しんで頂けたかなと思っています。
こういったトークイベントにありがちな不完全燃焼感も、イベント後の懇親会での、三好氏を囲んださらなる歓談やブランド作品の試着などで大いに盛り上がりました。
本当にたくさんのご来場ありがとうございました。次回以降の企画も是非お楽しみにしておいてください。

文責:筑波幸一郎 10802

2011年11月3日木曜日

建築を楽しいと言えるように

イベントでは、パネリスト5人が建築をあきらめないための活動や考え方を語った。
建築をあきらめないために、深く追求しようとしている者もいたし、幅広く対応しようとしている者もいた。
イベント終了時に書いて頂いたアンケートでも、建築の深さや幅広さを感じたという意見が多くあり、その多様性が上手く伝わっていたのだろう。

活動や考え方のなかには、すぐにでも実践できるものもあれば、立場や環境等の違いから全くあてはまらないものもあったとは思う。
しかし、あきらめない姿勢は、感じてとっていただけたのではないだろうか。
それが自分なりのあきらめない姿勢を見出しすきっかけになったら嬉しく思う。

建築の世界は、いろいろな意味で厳しい。
しかし、それ以上に楽しくもある。
何年後かに会った時に建築を楽しいと言いあえることが、このイベントの真の成功だと思う。

文責:中澤博史

2011年10月26日水曜日

「あきらめない」

今回のタイトルは「建築をあきらめない」だ。
簡単に成功や獲得できそうなもののことをいうときに「あきらめない」という表現は使わない。
既に成功や獲得できたものをいうときにも使わない。
容易には手が届かないけど、頑張ったら手が届く可能性がある場合に努力することが「あきらめない」なんだと思う。

5人のパネリストはみな建築の世界で生きている。
そういう意味では、既に手が届いている状態だといえる。
では、何に手を届かせることが難しく、「あきらめない」のか?
雑誌に掲載されるような作品を創造することなのかもしれないし、建築をつづけることなのかもしれない。
5人それぞれで、違うと思う。

失恋したときや受験で不合格だったときなど、人生にはあきらめないといけないことが多くある。
あきらめが肝心なんていう言葉もあり、そこに執着しすぎるのは良くない。
でも、まだダメだという結果がでていないのなら、立ち向かわないと道は開けない。
そのためには「あきらめない」が必要だ。

文責 中澤博史 - 9151 -

2011年10月23日日曜日

『建築をあきらめない』建築することの魅力

自分を建築設計へとつき動かしている『もの』は何だろう。


嫉妬や苛立ち、目に見えない屈辱感や焦燥感・・・・、ふりかえってみると創作の原動力はいつもそんな負の力が大きい。それはまだ自分が納得する『こと』が出来ていないからだ。僕はまだ建築において『こと』を成し遂げていない。


だから、建築における僕自身の身の回りに起こっている『こと』について、とても鈍臭い状況ながらも、まずは否定し、拒絶し、非難してみる。してみると言ったけれど、ほとんどが本能に近い感覚で、いつもその存在を受け入れようとしない。


それは無視することではなくて、自白すれば、絶対的な知識量がない分、おそらく他人の何倍もの労力を使って、使えない脳みそをフル回転させて、理解しようと努力する。その結果はいつもそれが自分の求めている『こと』でないことに気がつく。


最近はそういう自慰的な行為が自分自身を辟易させて始めているのだけれど、あわせてどんどんと先鋭化してきている感覚が生まれてきていて、朧げながらも建築設計へとつき動かしている『もの』が、創作という欲望だということに気がつき始めた。


なんという面倒くさい道を選んだのだろうと思う。


いろんな後悔が積み重なっているけれど、最近では、それは必要な時間を過ごしたに過ぎないと過信することにしている。


『建築をあきらめない』ということで語り合うと聞いたとき、ものすごい直球なテーマだと、正直、重いなあと感じたけれど、それは最初の『建築をめぐる22の寓話』というテーマで御為倒しを言ってごまかすことで納得しようとしていた自分への戒めと、再度、考える場を与えてくれた機会であるという気がした。


今の僕自身にとって、あらためて贖罪する場を与えてもらった気がしていて、建築をあきらめないという『こと』を語ることによって、建築において成し遂げていない『こと』を浮き彫りにできたらなと考えている。

文責:筑波幸一郎 - 9055 -