2011年11月3日木曜日

『建築をあきらめない』を終えて 〜感謝〜


当日、参加された方々に感謝致します。また、アリアフィーナがここに存在したからこそ、続けてこられたイベントです。寺田さん含めスタッフの皆さんにも感謝、感謝です。今回のタイトルが「建築をあきらめない」とはなっていましたが、建築に対して前向きな姿勢をお伝えできたのではないかと思っています。各人の特色が色濃く反映された内容だったかなと。私自身は今後の取り組み方としての『編集』を更に育てていきます。またいつか、アリアフィーナチームとSCMAメンバーで楽しい企画が出来れば最高だなと考えています。(筑波さん5年後ですか?)ありがとう御座いました。
文責:牧野 高尚

建築を楽しいと言えるように

イベントでは、パネリスト5人が建築をあきらめないための活動や考え方を語った。
建築をあきらめないために、深く追求しようとしている者もいたし、幅広く対応しようとしている者もいた。
イベント終了時に書いて頂いたアンケートでも、建築の深さや幅広さを感じたという意見が多くあり、その多様性が上手く伝わっていたのだろう。

活動や考え方のなかには、すぐにでも実践できるものもあれば、立場や環境等の違いから全くあてはまらないものもあったとは思う。
しかし、あきらめない姿勢は、感じてとっていただけたのではないだろうか。
それが自分なりのあきらめない姿勢を見出しすきっかけになったら嬉しく思う。

建築の世界は、いろいろな意味で厳しい。
しかし、それ以上に楽しくもある。
何年後かに会った時に建築を楽しいと言いあえることが、このイベントの真の成功だと思う。

文責:中澤博史

2011年11月1日火曜日

『建築をあきらめない』を終えて -可能性の発見-


『建築をあきらめない』を終えて 〜可能性の発見〜


「建築ということをリフォームという言葉に置き換えて考えてみる。」

私は今回こういうテーマで話させて頂きました。

そして、その中で「リフォームは建築か」という問いを投げてみました。

一つの例として、自分の目の前にある取組みとして「リフォーム」ということを取り上げましたが、この問いの中の「リフォーム」という言葉に置き換えていろんな言葉が入っていいと思っています。

「○○は建築か」

この言葉を投げかけることによって、建築に何が可能かを逆説的に考えています。つまり、私の傍にあるモノゴトの建築的可能性を発見する手立てとしているのです。

この「建築をあきらめない」という企画を通じて、私の前にあるモノゴトの中に建築を見つける「眼」を持てた事を再確認できたような気がします。



2011年10月31日月曜日

『建築をあきらめない』独立宣言への追記

『建築をあきらめない』を終えて 〜独立宣言への追記〜

今回のイベントで話した僕の独立宣言は『アート(芸術)』を思考しているような誤解を与えたのかなと思う。けれど全く違うということだけは言っておきたい。

アートほど社会性を求めて貪欲に経済を指向しているものない。おおよその人は芸術は抽象的な存在、純粋な芸術家の想いの発露と思っているかもしれないが、まったく逆だ。そう考えていたり感じたりしている人は、アートが経済とコミットし社会的地位を向上させようと企んでいる歴史とその姿勢をもっと認識すべきだと思う。
いやらしいことに今流行りの建築思考も、同様のアートの香りをほのかにさせた作家姿勢のものが多い。嘆かわし状況だ。

「だまされるな」と言いたい。

僕はバーチャルなネットワークなどがつくり出す建築に未来などはありえると考えていないし、そんなものがあってはならないと思っている。そんなものにどんな可能性があるなというのか

冗談のように発言した『今までの歴史をつくった建築家が悪であり、それを叩きのめしたい』というのは本気である。これからつくる建築に対して『経済とコミット』するなんてさらさらないし、そもそもそれが今の諸悪の根源だと考えている。

「ではどんな建築を指向しているのか」って?

それは今の段階では、僕自身への絶対的な命題、使命だと考えている。正直に言えばものすごく選択肢や可能性を狭めて己自身を追い詰めているのだけれど、5年後にもう一度、お会いできる機会をつくり、途中経過かもしれないが『結果』で示したいと思っている。


文責:筑波幸一郎

2011年10月30日日曜日

イベントを終えて

SCMA企画第5弾(最終章)「建築をあきらめない」も無事終えることができました。定員を超える方に参加頂き本当にありがとうございました。改めて、たくさんの方に参加していただくことにより責任が生まれ、メンバーのモチベーション、イベント内容共に充実したものなることを学ぶことができました。またいつもお世話になっている建築家:吉井歳晴さんにも参加頂き、貴重な意見を頂きました。ありがとうございました。イベントでうまく伝わったところ、伝わらなかったところありますが、メンバー自身これからの活動に生かしてほしいと思います。

個人的には「あこがれ」を出発点に、建築を楽しむ姿を表現することで「あきらめない姿勢」を伝えるべくお話させて頂きました。一方向のレクチャーでありがちな重い空気を払しょくしたいと考えた、「パネルクイズ(建築版)」。25枚のパネルを1枚1枚めくりその下に隠れた建築を当てるというクイズ。試作状態ではありましたが、参加者を交えながらの進行に笑顔も見られ「建築をたのしむ」一端を感じてもらえたのではと思います。今後改良を加え授業でも使ってみたいと思案中です。また、ニュータウンを中心に活動する中、単体の建築をつくるだけでなく視野を拡げていくことの重要性を表現したかった手元資料「NABARIニュータウンマップ(案)」。こちらも改良を加え地元の仲間と協議しながら観光協会に乗り込みたいなと思っています。(ニュータウンの観光化ねらっています。)

今回進行役を仰せつかったこともあり、自分のレクチャーは簡単にしようと思っていましたが、考え出すと楽しくなり資料つくりに没頭。当日もひとり15分の持ち時間をオーバーし話してしまいました。タイムキーパーのアリアフィーナの寺田さんも、楽しそうにしているからと5分前の合図を遠慮してくれたそうです。感謝。その分シンポジウムが少し的を絞り切れなかったと反省しています。 以前働いていた事務所の仲間も参加してくれ、「楽しそうにやってるのがわかったわ」と帰り際に言ってくれました。個人的には、楽しそうにしていることを見てもらいたいのが一番だったので少しは伝わったのかなと安心しました。 吉井さんからの宿題でもある、憧れだけに終わらない具体的な「新しいリアリティー」を時間かけて探していきたいと思います。

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長くなりましたが最後に、もう少し・・・。
建築という定義を、現実・与えられた役割に即しながら自分自身で組替え発見していくことで、「建築をあきらめない」ということになるのか。それともあこがれた建築像を愚直に追い求めることが「建築をあきらめない」とういことなのか。答えは人それぞれだと思います。議論ではどちらが可能性があるかというような論調になってしましましたが、ふたつとも大切だとも言えるかもしれません。現にあこがれ程遠いことを感じた私自身、前者を理解した時、「救われた」と感じました。ただ言葉では理解できるが体が理解していない状態。残る違和感・・・。

一方で、憧れと現実は違うものだと子どものから実は考えていました。アイドルをみるようなまなざしですね。設計事務所の子どもであるからこそ分かる現実。という意味では、早くから建築をあきらめていたのかもしれません。ただ、その憧れがあるから現実とリンクするときが来るのだというイメージは持っています。そのイメージを求めて建築小僧よろしく、建築探訪に始まり建築に関わるさまざまなことに取り組む日々。

今回のイベントでは、現実に即した教科書的なものではなく、あこがれが可能性を切り開いていけるんだ、というどちらかというと力技的なものを伝えたかったのでした。たとえそれがピエロ的役割であっても・・・。あきらめそうになった時何が支えになるのか。それこそが「あこがれ」のもつ強さだと思うから・・・。

文責 森本雅史







2011年10月27日木曜日

ぼくの場合、あこがれからはじまった

ぼくの場合、あこがれからはじまった建築への道。
両親が設計事務所をしていたこともあり、こどもの頃から建築家へのあこがれは強かった。今にして思うとあこがれの対象が建築ではなく建築家という存在だったことがミソだ。アイドルをみるような感覚に近い。建築家が社会と接点を持ちながらスターのように影響を与えていくそんなイメージ。大学で教わった岸先生に言わせると「生まれてくるのが20年遅かった」と言われる時代遅れな感覚。思い返せば大学院の修士論文は、「戦後の東京計画における一考察」というタイトルで都市的状況から社会の時代性をさぐることがテーマだった。それは表の理由で、実際はメタボリズム全盛期、都市をデザインすることと時代の要請とリンクする高揚感のある時代を追体験したかったに他ならない。

建築は幅がひろい。奥行きもある。願望だが、建築に関わるすべてのことを体験してみたいと思っている。形にすることだけではなく、建築をみること、文章を書くこと、建築教育に携わること、街に関わること、住育に関わること・・・・。この建築イベントなどもそうだ。そんな経験をせずに諦めるには、もったいない、と建築小僧をめざすわたしは思う。建築という眼鏡を通して見る世界は、経験により違った姿を見せてくれる。それが楽しい。建築と関わることで、今まで見えてなかった世界が見えた時、建築をしていてよかったと感じる。日々の活動のなか、あきらめと可能性が同居する中、前に進もうと思える瞬間だ。

今回のテーマを「建築をあきらめない」にしたきっかけはいくつかある。
建築を取り巻く時代的背景が多様化し建築をつくることがむずかしくなってきたこと、この春から学生に教える機会があり、建築が憧れの対象になり得ていないことを痛感したこと、東北大震災を受けて無力感に打ちのめされた中、私たち世代が下を向いていてはいけないと感じたこと、この3つが大きな要因だ。建築は、理想と現実がせめぎ合うリアルな世界だ。リアルだから面白い。著名ではない地道に活動する私たちが語ることでリアリティあるイベントとなりえると思っている。

「あこがれ」は時として原動力となることもあるが、邪魔をすることもある。その「あこがれ」が明確なものではなく淡くつかみどころのないものだと気づく。その淡い「あこがれ」を有形のかたちに落とし込んでいくことで、あきらめない先にあるものが見えてきそうだ。マインド(理想)と具体性。まさに建築がもとめられていることだ。当日は、あこがれからスタートした人間の建築を楽しむことをあきらめない姿を少しでも表現できればと思っている。


文責:森本雅史 9210

2011年10月26日水曜日

「あきらめない」

今回のタイトルは「建築をあきらめない」だ。
簡単に成功や獲得できそうなもののことをいうときに「あきらめない」という表現は使わない。
既に成功や獲得できたものをいうときにも使わない。
容易には手が届かないけど、頑張ったら手が届く可能性がある場合に努力することが「あきらめない」なんだと思う。

5人のパネリストはみな建築の世界で生きている。
そういう意味では、既に手が届いている状態だといえる。
では、何に手を届かせることが難しく、「あきらめない」のか?
雑誌に掲載されるような作品を創造することなのかもしれないし、建築をつづけることなのかもしれない。
5人それぞれで、違うと思う。

失恋したときや受験で不合格だったときなど、人生にはあきらめないといけないことが多くある。
あきらめが肝心なんていう言葉もあり、そこに執着しすぎるのは良くない。
でも、まだダメだという結果がでていないのなら、立ち向かわないと道は開けない。
そのためには「あきらめない」が必要だ。

文責 中澤博史 - 9151 -