2010年7月3日土曜日

浮かび上がる建築 伍

『アニメが語り始める』を終えて
浮かび上がる建築 伍

僕は建築が好きだ。なぜ建築で語らないのか。建築のすごさ、楽しさは他の媒体を通してでも十分伝わると思ったのです。アニメで何を伝えたかったのか。愛、道徳だと思っていたが、あまりに広すぎて解からない。伝わりにくい。トークライブの最後の方で、興奮してまるで信者のごとく宮崎さんのことを語ってしまったが、要はものづくりの「姿勢」を一番伝えたかったのです。それだと映画、漫画でもよかったのかもしれません。しかしつい最近、ジブリの森美術館で建築を問い、その後スタジオジブリを訪問したこの貴重な体験を今回は伝えたかった。だから「アニメが語り始める」なのです。

私は映画が好きで学校を卒業すると同時に映像の世界に飛び込みました。そこはまさにものづくり大好人間の集まりでした。金はないけど、三度の飯よりものづくりって雰囲気で、何一つ心配することがなかった。しかし、時代も変わり、現在は映像の世界の創られ方も大きく変わってきました。近頃は便利になって、自分でハイビジョンカメラで映像をとって編集し、インターネットに流して発信さえできてしまえる。建築もインターネットで情報をかき集めて、施主自ら家を建てちゃう。ありかといえば、ありかもしれない。でも違うと思うのです。思いのある多くの人たちが関わらないと映画や建築は出来ない。媒体が変わっても、あるいは創り方が変化しても、ものづくりへの「姿勢」は変わらないと思うのです。先人たちに学ぶ心構えがここでいう「姿勢」なのかも知れません。現在、専門学校で教える立場になって、この姿勢というのがとても気になってきていました。建築自身は永きわたり残っていこうとするのに、建築の世界でこの「姿勢」がうまく伝わっていないのではないか。

ハウツウ本が氾濫している最中、時代とは逆行しますが、ものづくりをしていこうとすると、回り道も含め大変な時間がかかります。今はいい大人がそれを待ってやれない。私も事務所ではスタッフに対してそうなのかもしれません。しかし、当人にとっては失敗することも含め、その体験がとても大事で、きっと一回きりだと思うんです。現代アニメは様々な社会的役割を果たしつつ、宮崎さんのような方が、ものづくりの「姿勢」を伝えていってくれています。そこにはきちんと道徳があり、ものづくりへの尊敬の念があり、広い意味での愛情が感じられるのです。そういった良い雰囲気が感じられるのです。建築界はどうなのか。森本さんも書かれているように悔しさ、嫉妬もあります。

私の企画展示はスケッチ2枚。俳句は「ちちとはは いつもこどもが みています」としました。本当は逆なのよと言いたいだけなのですが、今こそ私たちが見られているのです。その姿勢を建築に戻したとき、私のなかで建築は浮上すると思いました。それは社会性をきちんと持ちつつも、スケッチにあった男の子のように、いつまでも「建築小僧」の姿勢を持ち続ける。反論あるやも知れません。けれど、そう思うのです。皆様には伝わりにくいトークライブであったことを反省しつつ、ここらで締めさせて頂きます。ありがとう御座いました。


文責:牧野高尚-004753

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