2011年11月3日木曜日

『建築をあきらめない』を終えて 〜感謝〜


当日、参加された方々に感謝致します。また、アリアフィーナがここに存在したからこそ、続けてこられたイベントです。寺田さん含めスタッフの皆さんにも感謝、感謝です。今回のタイトルが「建築をあきらめない」とはなっていましたが、建築に対して前向きな姿勢をお伝えできたのではないかと思っています。各人の特色が色濃く反映された内容だったかなと。私自身は今後の取り組み方としての『編集』を更に育てていきます。またいつか、アリアフィーナチームとSCMAメンバーで楽しい企画が出来れば最高だなと考えています。(筑波さん5年後ですか?)ありがとう御座いました。
文責:牧野 高尚

建築を楽しいと言えるように

イベントでは、パネリスト5人が建築をあきらめないための活動や考え方を語った。
建築をあきらめないために、深く追求しようとしている者もいたし、幅広く対応しようとしている者もいた。
イベント終了時に書いて頂いたアンケートでも、建築の深さや幅広さを感じたという意見が多くあり、その多様性が上手く伝わっていたのだろう。

活動や考え方のなかには、すぐにでも実践できるものもあれば、立場や環境等の違いから全くあてはまらないものもあったとは思う。
しかし、あきらめない姿勢は、感じてとっていただけたのではないだろうか。
それが自分なりのあきらめない姿勢を見出しすきっかけになったら嬉しく思う。

建築の世界は、いろいろな意味で厳しい。
しかし、それ以上に楽しくもある。
何年後かに会った時に建築を楽しいと言いあえることが、このイベントの真の成功だと思う。

文責:中澤博史

2011年11月1日火曜日

『建築をあきらめない』を終えて -可能性の発見-


『建築をあきらめない』を終えて 〜可能性の発見〜


「建築ということをリフォームという言葉に置き換えて考えてみる。」

私は今回こういうテーマで話させて頂きました。

そして、その中で「リフォームは建築か」という問いを投げてみました。

一つの例として、自分の目の前にある取組みとして「リフォーム」ということを取り上げましたが、この問いの中の「リフォーム」という言葉に置き換えていろんな言葉が入っていいと思っています。

「○○は建築か」

この言葉を投げかけることによって、建築に何が可能かを逆説的に考えています。つまり、私の傍にあるモノゴトの建築的可能性を発見する手立てとしているのです。

この「建築をあきらめない」という企画を通じて、私の前にあるモノゴトの中に建築を見つける「眼」を持てた事を再確認できたような気がします。



2011年10月31日月曜日

『建築をあきらめない』独立宣言への追記

『建築をあきらめない』を終えて 〜独立宣言への追記〜

今回のイベントで話した僕の独立宣言は『アート(芸術)』を思考しているような誤解を与えたのかなと思う。けれど全く違うということだけは言っておきたい。

アートほど社会性を求めて貪欲に経済を指向しているものない。おおよその人は芸術は抽象的な存在、純粋な芸術家の想いの発露と思っているかもしれないが、まったく逆だ。そう考えていたり感じたりしている人は、アートが経済とコミットし社会的地位を向上させようと企んでいる歴史とその姿勢をもっと認識すべきだと思う。
いやらしいことに今流行りの建築思考も、同様のアートの香りをほのかにさせた作家姿勢のものが多い。嘆かわし状況だ。

「だまされるな」と言いたい。

僕はバーチャルなネットワークなどがつくり出す建築に未来などはありえると考えていないし、そんなものがあってはならないと思っている。そんなものにどんな可能性があるなというのか

冗談のように発言した『今までの歴史をつくった建築家が悪であり、それを叩きのめしたい』というのは本気である。これからつくる建築に対して『経済とコミット』するなんてさらさらないし、そもそもそれが今の諸悪の根源だと考えている。

「ではどんな建築を指向しているのか」って?

それは今の段階では、僕自身への絶対的な命題、使命だと考えている。正直に言えばものすごく選択肢や可能性を狭めて己自身を追い詰めているのだけれど、5年後にもう一度、お会いできる機会をつくり、途中経過かもしれないが『結果』で示したいと思っている。


文責:筑波幸一郎

2011年10月30日日曜日

イベントを終えて

SCMA企画第5弾(最終章)「建築をあきらめない」も無事終えることができました。定員を超える方に参加頂き本当にありがとうございました。改めて、たくさんの方に参加していただくことにより責任が生まれ、メンバーのモチベーション、イベント内容共に充実したものなることを学ぶことができました。またいつもお世話になっている建築家:吉井歳晴さんにも参加頂き、貴重な意見を頂きました。ありがとうございました。イベントでうまく伝わったところ、伝わらなかったところありますが、メンバー自身これからの活動に生かしてほしいと思います。

個人的には「あこがれ」を出発点に、建築を楽しむ姿を表現することで「あきらめない姿勢」を伝えるべくお話させて頂きました。一方向のレクチャーでありがちな重い空気を払しょくしたいと考えた、「パネルクイズ(建築版)」。25枚のパネルを1枚1枚めくりその下に隠れた建築を当てるというクイズ。試作状態ではありましたが、参加者を交えながらの進行に笑顔も見られ「建築をたのしむ」一端を感じてもらえたのではと思います。今後改良を加え授業でも使ってみたいと思案中です。また、ニュータウンを中心に活動する中、単体の建築をつくるだけでなく視野を拡げていくことの重要性を表現したかった手元資料「NABARIニュータウンマップ(案)」。こちらも改良を加え地元の仲間と協議しながら観光協会に乗り込みたいなと思っています。(ニュータウンの観光化ねらっています。)

今回進行役を仰せつかったこともあり、自分のレクチャーは簡単にしようと思っていましたが、考え出すと楽しくなり資料つくりに没頭。当日もひとり15分の持ち時間をオーバーし話してしまいました。タイムキーパーのアリアフィーナの寺田さんも、楽しそうにしているからと5分前の合図を遠慮してくれたそうです。感謝。その分シンポジウムが少し的を絞り切れなかったと反省しています。 以前働いていた事務所の仲間も参加してくれ、「楽しそうにやってるのがわかったわ」と帰り際に言ってくれました。個人的には、楽しそうにしていることを見てもらいたいのが一番だったので少しは伝わったのかなと安心しました。 吉井さんからの宿題でもある、憧れだけに終わらない具体的な「新しいリアリティー」を時間かけて探していきたいと思います。

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長くなりましたが最後に、もう少し・・・。
建築という定義を、現実・与えられた役割に即しながら自分自身で組替え発見していくことで、「建築をあきらめない」ということになるのか。それともあこがれた建築像を愚直に追い求めることが「建築をあきらめない」とういことなのか。答えは人それぞれだと思います。議論ではどちらが可能性があるかというような論調になってしましましたが、ふたつとも大切だとも言えるかもしれません。現にあこがれ程遠いことを感じた私自身、前者を理解した時、「救われた」と感じました。ただ言葉では理解できるが体が理解していない状態。残る違和感・・・。

一方で、憧れと現実は違うものだと子どものから実は考えていました。アイドルをみるようなまなざしですね。設計事務所の子どもであるからこそ分かる現実。という意味では、早くから建築をあきらめていたのかもしれません。ただ、その憧れがあるから現実とリンクするときが来るのだというイメージは持っています。そのイメージを求めて建築小僧よろしく、建築探訪に始まり建築に関わるさまざまなことに取り組む日々。

今回のイベントでは、現実に即した教科書的なものではなく、あこがれが可能性を切り開いていけるんだ、というどちらかというと力技的なものを伝えたかったのでした。たとえそれがピエロ的役割であっても・・・。あきらめそうになった時何が支えになるのか。それこそが「あこがれ」のもつ強さだと思うから・・・。

文責 森本雅史







2011年10月27日木曜日

ぼくの場合、あこがれからはじまった

ぼくの場合、あこがれからはじまった建築への道。
両親が設計事務所をしていたこともあり、こどもの頃から建築家へのあこがれは強かった。今にして思うとあこがれの対象が建築ではなく建築家という存在だったことがミソだ。アイドルをみるような感覚に近い。建築家が社会と接点を持ちながらスターのように影響を与えていくそんなイメージ。大学で教わった岸先生に言わせると「生まれてくるのが20年遅かった」と言われる時代遅れな感覚。思い返せば大学院の修士論文は、「戦後の東京計画における一考察」というタイトルで都市的状況から社会の時代性をさぐることがテーマだった。それは表の理由で、実際はメタボリズム全盛期、都市をデザインすることと時代の要請とリンクする高揚感のある時代を追体験したかったに他ならない。

建築は幅がひろい。奥行きもある。願望だが、建築に関わるすべてのことを体験してみたいと思っている。形にすることだけではなく、建築をみること、文章を書くこと、建築教育に携わること、街に関わること、住育に関わること・・・・。この建築イベントなどもそうだ。そんな経験をせずに諦めるには、もったいない、と建築小僧をめざすわたしは思う。建築という眼鏡を通して見る世界は、経験により違った姿を見せてくれる。それが楽しい。建築と関わることで、今まで見えてなかった世界が見えた時、建築をしていてよかったと感じる。日々の活動のなか、あきらめと可能性が同居する中、前に進もうと思える瞬間だ。

今回のテーマを「建築をあきらめない」にしたきっかけはいくつかある。
建築を取り巻く時代的背景が多様化し建築をつくることがむずかしくなってきたこと、この春から学生に教える機会があり、建築が憧れの対象になり得ていないことを痛感したこと、東北大震災を受けて無力感に打ちのめされた中、私たち世代が下を向いていてはいけないと感じたこと、この3つが大きな要因だ。建築は、理想と現実がせめぎ合うリアルな世界だ。リアルだから面白い。著名ではない地道に活動する私たちが語ることでリアリティあるイベントとなりえると思っている。

「あこがれ」は時として原動力となることもあるが、邪魔をすることもある。その「あこがれ」が明確なものではなく淡くつかみどころのないものだと気づく。その淡い「あこがれ」を有形のかたちに落とし込んでいくことで、あきらめない先にあるものが見えてきそうだ。マインド(理想)と具体性。まさに建築がもとめられていることだ。当日は、あこがれからスタートした人間の建築を楽しむことをあきらめない姿を少しでも表現できればと思っている。


文責:森本雅史 9210

2011年10月26日水曜日

「あきらめない」

今回のタイトルは「建築をあきらめない」だ。
簡単に成功や獲得できそうなもののことをいうときに「あきらめない」という表現は使わない。
既に成功や獲得できたものをいうときにも使わない。
容易には手が届かないけど、頑張ったら手が届く可能性がある場合に努力することが「あきらめない」なんだと思う。

5人のパネリストはみな建築の世界で生きている。
そういう意味では、既に手が届いている状態だといえる。
では、何に手を届かせることが難しく、「あきらめない」のか?
雑誌に掲載されるような作品を創造することなのかもしれないし、建築をつづけることなのかもしれない。
5人それぞれで、違うと思う。

失恋したときや受験で不合格だったときなど、人生にはあきらめないといけないことが多くある。
あきらめが肝心なんていう言葉もあり、そこに執着しすぎるのは良くない。
でも、まだダメだという結果がでていないのなら、立ち向かわないと道は開けない。
そのためには「あきらめない」が必要だ。

文責 中澤博史 - 9151 -

2011年10月24日月曜日

建築を続けるか

この仕事をしていくと、興味の幅がどんどん広がります。建築というベース大きさなのでしょうか。ものづくりを目指し、建築をつくることを自営という枠で行ってきた。しかしながら自身が思っている「建築活動」という領域を侵害し、可能性にかけてみたくなります。だからこそ地に足の付いた活動が大切と考えています。映画人が映画人であるように、建築人は建築人であることを誇りに思える活動をするために、建築活動をあきらめない姿勢を等身大で語ります。

文責 牧野 高尚

2011年10月23日日曜日

『建築をあきらめない』建築することの魅力

自分を建築設計へとつき動かしている『もの』は何だろう。


嫉妬や苛立ち、目に見えない屈辱感や焦燥感・・・・、ふりかえってみると創作の原動力はいつもそんな負の力が大きい。それはまだ自分が納得する『こと』が出来ていないからだ。僕はまだ建築において『こと』を成し遂げていない。


だから、建築における僕自身の身の回りに起こっている『こと』について、とても鈍臭い状況ながらも、まずは否定し、拒絶し、非難してみる。してみると言ったけれど、ほとんどが本能に近い感覚で、いつもその存在を受け入れようとしない。


それは無視することではなくて、自白すれば、絶対的な知識量がない分、おそらく他人の何倍もの労力を使って、使えない脳みそをフル回転させて、理解しようと努力する。その結果はいつもそれが自分の求めている『こと』でないことに気がつく。


最近はそういう自慰的な行為が自分自身を辟易させて始めているのだけれど、あわせてどんどんと先鋭化してきている感覚が生まれてきていて、朧げながらも建築設計へとつき動かしている『もの』が、創作という欲望だということに気がつき始めた。


なんという面倒くさい道を選んだのだろうと思う。


いろんな後悔が積み重なっているけれど、最近では、それは必要な時間を過ごしたに過ぎないと過信することにしている。


『建築をあきらめない』ということで語り合うと聞いたとき、ものすごい直球なテーマだと、正直、重いなあと感じたけれど、それは最初の『建築をめぐる22の寓話』というテーマで御為倒しを言ってごまかすことで納得しようとしていた自分への戒めと、再度、考える場を与えてくれた機会であるという気がした。


今の僕自身にとって、あらためて贖罪する場を与えてもらった気がしていて、建築をあきらめないという『こと』を語ることによって、建築において成し遂げていない『こと』を浮き彫りにできたらなと考えている。

文責:筑波幸一郎 - 9055 -

2011年10月22日土曜日

続けているもの それは「建築」のみ

このSCMA企画も5回目を数える。

その積み重ねの中で見えてきたものがたくさんある。

始まりは「建築を建築で語らない」というようなことだった。

結果、私たちは「建築」を語っている。

やぱりそこに帰ってくるのだ、建築をあきらめていないのだよ。


私はただいま42歳。

B型でふたご座、好奇心が旺盛だが飽き症。

そんな自分が唯一続けているのが「建築」だ。

「建築」というものに気付いて21年。

ちょうど人生の半分をこの「建築」と共に歩んでいる。

ほんと自分の半生だ・・・。

故郷を離れたのもこの「建築」のせい、

訪れた大阪での生活の山谷もこの「建築」が基準にあった。

ほとんどの人との出会いや別れはこの「建築」を通じてあった。

そして、今までたくさんの喜びと悲しみをもたらしてくれた。


そりゃ、あきらめられませんよ。

人生ですもん。

「建築」をあきらめられない、あきらめられる訳がない。

だって、あきらめたら過去の自分がなくなる。


「建築」っていろいろある。

堪え難きを堪え、忍び難きを忍び的なこともあれば、

心が折れそうになる時もある。

でも、やめられない「何か」がある。

この「何か」は未だになにか解らない。

ずっとそれが何か探している感じだろうか・・・。


42歳、B型、ふたご座の私でも「建築」はあきらめられないのだ。

そんな私が暗中模索しながら

「建築をあきらめない」今の姿を語れたらと思う。


文責:進藤勝之 - 9034 -








2011年10月20日木曜日

イベント「建築をあきらめない」























SCMA企画も今回で5回目となる。
「著名な建築家でない地道な活動をしているメンバーだからこそ出来ることをしたい」と毎回テーマを考えてきた。 (これまでの詳しい活動はこちらから)

今回のテーマは「建築をあきらめない」。

このイベントは、建築作品を中心としたプレゼンテーションではない。建築を取り巻く環境は厳しく、多様性を増している今、「あきらめない」パネリストが、そんな時代だからこそ広がる可能性の見出し方、建築との向き合い方を等身大の姿で語る。

参加した方々が、自らと重ね合わせることでヒントを得てもらい、それぞれの目指す建築に対してあきらめずに追い求めるひとつのきっかけになることを願っている。


なお、現在定員を超える申込が同世代・学生から届いており、反響の高さを感じています。定員に達しましたが、まだ参加を受け付けます。興味のある方はお早めに申込ください。文責:森本雅史 -8977

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■プログラム予定
①パネリストによるレクチャー
②シンポジウム+質疑応答
③懇親会(意見交換会)
■内容
それぞれにとって「あきらめない建築」とは・・・

(具体的な「事例」+抽象的な「想い」を中心にその先にある可能性を探る。 )
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■パネリスト(あきらめない人達)
筑波幸一郎
1968年 大阪府生まれ
1992年 京都市立芸術大学卒業
      株式会社大林組入社
2005年 筑波建築設計工房設立
2007年 摂南大学非常勤講師
2009年 京都市立芸術大学非常勤講師

進藤勝之
1969年 広島県生まれ
1993年 広島工業大学工学部建築学科卒
    吉羽逸郎/アイ・エフ建築設計研究所入社
1997年 彦谷建築設計事務所入社
2003年 住友不動産株式会社入社
2007年 Atelier SETTEN設立

牧野高尚
1969年 和歌山県生まれ
1988年 高校卒業後映画製作に従事
1993年 島津建築設計事務所入社
1997年 建築家伊東眞一氏に師事
2000年 アトリエピクト設立
2009年 大阪建設専門学校非常勤講師

中澤博史
1969年 大阪府生まれ
1992年 近畿大学理工学部建築学科卒
    株式会社大建設計入社
1998年 中澤建築設計事務所設立

■進行
森本雅史
1974年 三重県生まれ
1996年 京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒
1998年 同大学院(岸和郎研究室)修了
      株式会社東畑建築事務所入社
2009年 森本雅史建築事務所設立
2011年 近畿大学工業高等専門学校非常勤講師
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日 時/2011年 10月28日(金) 18:30~20:30頃
会 場/アリアフィーナ大阪ショールーム

    大阪市中央区安土町3-5-12 住友生命本町ビル1階
定 員/30名(要予約)
参加費/無料
主 催/大阪建築情報発信局[P2+SCMA] WEBサイト


参加費は無料です。 参加申込はアリアフィーナ大阪ショールームまで。
氏名/年齢/住所/電話番号/参加人数を記入の上、以下のメールアドレスまでお申込み下さい。
ariafina-2@fjic.co.jp






2011年5月27日金曜日

目標を設定すること

「拝啓 十年後のあなたへ」のイベントが終了して1週間が経つ。企画展では、10年後も建築業界で活動するための「カギ(鍵)」となる手法を視覚的な形で展示し、茶話会でその可能性を語り合った。

その茶話会でのこと、僕を含めた5人全員が展示作品を搬入当日の朝まで作業をしていた、と打ち明けた。「腑に落ちない部分を解決しようとしていた」とか「思っていたより時間がかかった」と…。より良くするため模索していたという言い訳だけど、不思議なことに追い詰められないと良いアイデアが思い浮かばない。あまり大きな声では言えないけれども、仕事の時も同様だ。だから、いつも時間ギリギリになってしまう。

10年後のことを想像し、それに向かっての目標を定めたところで、それが正しいのかは誰にも分からない。でも、目標を決めずに進むよりかは、たとえそれが間違っていたとしても決めて進むほうが良い気がする。もし、それが間違っていると分かったら、そのとき修正すればよい。大事なことは、それが正しいとか間違っているとかいうことよりも、進むべき目標を定めることにあると思う。

本当は、常日頃からそんな心構えでいることができればいいのだけど、悲しいかな、追い詰められないとなかなか設定できない。今回、イベントがあるということで追い詰められ、目標を設定した。そのことが、自分にとっては一番の収穫だったと思っている。

文責:中澤博史 -8452

2011年5月26日木曜日

客観的に見ること

10年後の自分へのラブレターになればと、地方で活動する今の自分の立ち位置を表現することを目指した展示「郊外住宅の可能性」と、USTREAMで配信されたざっくばらんな茶話会での会話。そのふたつが混ざったものが今の自分の現状なんだなと感じました。抑制が効いた部分と効かない部分という意味で・・・。

終わってから茶話会の様子を改めて見てみました。自分がしゃべっている姿を見ることは初めてでした。話す内容、しゃべるスピード、姿勢・・・・こんなことになっているんだと気づきました。展示内容だけでは自分の半分くらいしか表現できてないという指摘も的を得ていました。

可能性とあきらめ。その相反する中で自分がもがいているそんな感覚。「なんとかなる」という前向きな気持ちを持つ自分をもう一人の自分が遠くから見る視点。映像で話している自分が遠くに見えました。向かうべき方向について少しは定まった感はありますが、まだまだ模索していくことになりそうです。

そんな経験をした今回の企画展でした。ありがとうございました。

次回の企画展の担当は、わたしです。よろしくお願いします。

文責:森本雅史 -008410-

2011年5月25日水曜日

「夢を語り可能性を追求する」


今回のSCMAイベントは如何でした?

初めてのUSTREAM配信に挑戦し、各人作品展にも取り組みました。

私の作品「ひまわりくん」は自然の情景を創り出し、そこで振舞う「私」を表現しました。そこに秘められた思いは「過去と未来への可能性」でした。詳しくはUSTREAMを見て下さい。

そこからSCMAのメンバーが試行錯誤し、発信したことはいったい何だったのか。考えてほしい。

最近、税理士の先生と食事をしたとき、考えさせられた瞬間がありました。人生の先輩から出た言葉は「夢を語らないといけない。」この言葉は大切な意味を持つと思います。

過去の自分を振り返り、いったい何を思い何をしようとしたのか。そして今、どこに向かっているのか。夢を真剣に語り、そして可能性に向かって進んでいく。

最後に私自身にとって最も必要で大切なものは「家族」であり、真剣に夢を語れる「仲間」です。これからも試行錯誤しながらSCMAは情報を発信していきます。

ありがとう御座いました。

文責:牧野 高尚

2011年5月24日火曜日

『私の可能性』



十年後の自分の為に過去を振り返ってみた。

私自身のこれからの可能性とはなんだろうと。

そこには私へと繋いでくれた人々がいた。

いま、私が存在することの真実があった。

そして、この先へのヒントが隠されていた。

十年後、この真剣な取り組みがいかなる形になるのか・・・

想像しながら生きていくのも悪くないと思った。

私の可能性はそこにあるかもしれないという希望をもって。

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文責:進藤勝之-8377




2011年5月23日月曜日

『拝啓 十年後のわたしへ』

拝啓 十年後のわたしへ。


ご無沙汰しています。お元気でしょうか。


十年前のわたしを覚えていますか。

まだ建築設計をしていますか。

妻や娘は元気にしていますか。仲良くしていますか。

両親は無事に暮らしていますか。

十年後のわたしは慎ましやかにしあわせに過ごしていますか。


こちらは大震災の影響で簡単に明るい未来を語れない状況です。

希望は、ひとつひとつ丁寧に、一歩一歩確実に、浮かれず焦らず欲張らず、歩んでいくことが大切だという事に気がついたということです。


今は今日のことしか語れませんが、明日はちょっとだけ希望を含めた未来を語りたいなと考えています。


またお会い出来るその日まで。

敬具


文責:筑波幸一郎 - 8341


2011年5月21日土曜日

「拝啓 十年後のあなたへ」無事終了

5月14日よりアリアフィーナ大阪ショールームで開催しておりました「拝啓 十年後のあなたへ」が20日をもちまして、無事に終了しました。
会期中お越しいただいた方々、ご協力いただいた方々にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。

今後もさまざまな企画や情報発信を行う予定ですので、どうか、これからもよろしくお願い申し上げます。

2011年4月24日日曜日

「拝啓、十年後のあなたへ」未来への階段

独立して13年。
夢見ていた建築設計を仕事として、今まではやってこれた。
でも、今後も途切れることなく仕事があるのかと、時々不安になる。
「今までやってこられたのだから今後も大丈夫!」って楽観的に考えようとするけど、でもやっぱり考えてしまうことがある。

プロジェクトでは、施主の要望を満たし、周辺環境を考え、自分なりの目標を設定して建築を造ってきた。そして、それをつづけていくことで、何か大きなテーマが見つけられるような気がしていた。でも、それだと階段を上っているような感覚があまりない。目標に一貫性がないから、一段上がっては下りて、また一段あがる。これの繰り返しなのだ。このことを防ぐには、確立した何か理念のようなものがいるのだと思う。

仕事としてやっていくには、自分の「能力」と「欲求」、「役割」を考えないといけない。
「能力」がなければ仕事ができない。
「欲求」を満たしてくれるものでなければ意欲が沸かない。
「役割」がなければ社会に求められない。
理念は、これら三つを満たしたものである必要があるのだと思う。そして、それに向かって階段を一段ずつでもいいから上がって行く。そうすれば、不安を感じることもなくなるような気がする。

将来の自分がこの階段の数段上にいて、その先にはどんな理念があるのかを想像したい。
イベントでは、それをみんなで共有して明るい未来を描きたいと思っている。

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イベントの詳しい内容、申し込みはこちら

文責:中澤博史 -8037

2011年4月22日金曜日

『拝啓、十年後のあなたへ』 ひまわりの可能性

わたくし牧野は現在41歳です。
過去にこんなことを考えて行動してきました。
7歳---近所のアトリエに通い、中庭でひまわりの絵を描いていました。
10歳---ゴッホに興味をもち、この頃の読書感想文は毎年「ゴッホ」でした。
16歳---なぜか工業高校の建築学科に入学する。
18歳---建築に興味が湧かず、映像に興味を抱き高校卒業と同時に東京へ・・・。
若かりし頃は常に華やかさを求めていたような気がします。
ちなみに私が尊敬する人物が私と同じような年齢の時に何をしていたかといいますと

黒澤 明氏
1910年 誕生
1950年 「羅生門」が公開。
1954年 「七人の侍」が公開
「羅生門」のころは配給が大映で、その後の「生きる」からは東宝配給。

山田 洋次氏
1931年 誕生
1972年 「男はつらいよ 又慕慕情」(マドンナ役は吉永小百合)
既に寅さんシリーズも第9作目。

積み重ねではありますが40代がヒジョーに面白い気がします。
たまたま後輩で漫画家がおりまして、昔に議論したことを思い出します。論点はアートは本当にあるのかないのかです。彼は漫画家として編集者と適切にことを進めていきマーケットあるいはメディアに対し明確に答えていくことが役割で必要なのだと説くわけです。ですから理解しにくい芸術たるものはないよと。しかし、クリエイターはわらないから挑み、そして創り続けていくのではないでしょうか。尊敬する手塚治虫氏も次々と新しいものを創り上げていきましたよね。人の心に届き刺激を与えるもの。私の原点はここにある気がします。
今は専門学校で教えていることもあり学生と話す機会が多く、最近はよく人生相談を受けます。相談の大半は「悩み」です。結局答えは本人しか出せないのではありますが・・・。しかし悩みぬくことが間違いなく次へのステップに必要なことだと思います。そんな私は建築一本ではない芸歴です。しかし、人生には何ひとつ無駄がないように思えます。さまざまな経験を活かし、社会に貢献できる活路を茶話会にて真剣に語りたいと思います。

「拝啓、十年後のあなたへ」十年後へ繋がる想い

「今、考えていることが十年後に繋がっている」そう信じ、今私が意識していることを出し切ることを今回の企画展の目標にしたいと思います。

地方で活動する私が今考えていること。
それは、建築単体のことだけを考えているのではありません。むしろ単体以外の事を考えざるを得ないというのが現実なのかもしれません。地方に共通する問題点、少子高齢化、医療崩壊、ニュータウンの高齢化、農村部の過疎化、旧市街地の衰退・・・。その中で当然、設計にたずさわっている人間ができることは限られています。それを承知で視野を広げること、地方のしくみに対することへの興味を持つことが大切ではないかと思っています。そのことが、ただでさえ仕事の少ない地方で生き残っていく術ではないかと思い始めています。仕事を待つのではなく探し、つくっていく姿勢。そのためのベースつくりの時期だと思っています。仕事も種類も変わってくるのかもしれません。建物をつくることだけが建築ではない。様々な与条件、問題点を整理し組み立てていくこと、構築していくことも建築ではないかと思います。

私の親は、設計事務所を当時造成されたニュータウンに開設し、街の勢いと共に忙しい中にやりがいを持って仕事をしてきました。そのいい残像を持って私もこの道に進んできました。当然自分も独立すると10年ほど組織事務所で働いたのち、なんとかやっていけるだろうと楽観的な考えで地元に戻ってきました。現実は厳しいものです・・・。しかし考え方によっては、仕事が少ない状況であることが、元気のない地方において自分自身のやり方を考えるきっかけになったように思います。「自分でできることは自分でする、出来ないことは集まってやる」そのことが地方を他人任せにしない一番の姿勢だと思っています。まずはニュータウンで生まれ、仕事をしている自分が郊外住宅地の状況・課題をより知ること、そしてそこで住むことの楽しさを形にすることを引き続き続けていきたいと思っています。

思い返せば大学院の修士論文は、「戦後の東京計画における一考察」というタイトルで都市的状況から社会の時代性をさぐることがテーマでした。大都市を俯瞰するのはなかなか難しいですが、小さな地方都市なら可能かもしれない。その中から普遍性を見つけていきたいと思います。建築が個として閉じてしまうのではなく、少なからず社会・歴史の中で影響力を持ちえるというイメージを持ちつつ、いい意味でも悪い意味でも、十年後も人工衛星からみたような俯瞰的視点をなくさずに仕事していてほしいな。 文責:森本雅史-8004

2011年4月20日水曜日

『拝啓、十年後のあなたへ』本物をめざして

建築がサブカルチャー的に扱われるようになって久しい。

小さな差異をこれでもかというこだわりで見せつけて、そこに過大評価がつけられていく出来レースがおこなわれている。
「いまさら建築なんてもうないさ!」といいながら、袈裟懸けに斬りつける、ひねくれた建築へのスタンスは、いつもイライラする感覚があった。
薄くて軽くて記号的な建築なんてくそくらえだ。

確かに流行言語、メディアの先端を目指す事は、同世代の過当競争を勝ち抜くための便利な手段ではあるけれど、そろそろ本気で本物を生み出さないと、本物の生存競争に生き残れない。
ほんものを知らない世代が生き残れるはずないのだから、老害世代からもっと昔話を聞き出し、醜いくらいに語り部として伝えてもらわなければと思う。

建築設計のつらいところは、つくってなんぼのところがある。

10年後、じぶんがどれだけの建築をつくりだしているかは皆目見当がつかないけれど、乱暴な言い方をすれば、重力に根ざした、重くて存在感のある建築をつくりたい。
その重さ、存在感の中に、どれだけ広大な空間がつくれるかに挑戦し続けたいと思う。


文責:筑波幸一郎 -7943

2011年4月19日火曜日

『拝啓、十年後のあなたへ』 はぁ・・・しんどい作業だ。

10年後の自分は何をしているのだろう?

今を精一杯生きているというのが今の自分にぴったり。

精一杯生きているから、10年後の事など考えられないというのが本音。

でも、独立しているからこそ10年後を考えていくことはとても大切という事はよくわかっています。

では、10年後の何について考えるのか。

建築のこと?

設計のこと?

住宅のこと?

家族のこと?

お金のこと?

人生のこと?

・・・いろんなこと。

10年後の誰も知らない未来を考える事は、誰も知らないだけに簡単そうで実は簡単でない。

そのこと自体、未来予想図をつくる事ではないような気がする。

将来、自分は「こうありたい」という願望であれば、それは努力目標であったり、ある一定周期(ここでは10年?)でのゴールに対する目標設定だったりするのだろうけど、そんなことではないような気がする。

自分としては、「行き先」を見定めるようなことだろうか・・・。

こういうことは頭で考えると凄く硬くなってしまいます。

表現しようとすると尚更硬くなってしまいます。

でも、それをしようと決めました。

そしてその事について話す、ひたすら話すという事で「行き先」を見つけていくということがいまの自分達には必要なのでしょう。

そのぼんやりとした「行き先」を見出す為に、過去通って来た道程を見つめ直すことから始めています。

それでもどんな自分に「なりたいか」を考える小さな自分がいます。



はぁ・・・なんとしんどい作業だ。

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文責:katusyukishindo -7911-

2011年4月7日木曜日

イベント『拝啓 十年後のあなたへ』

将来の自分がどうなっているのか、気になる方は多いのではないでしょうか。例えば10年後、「何をして暮らしているのだろうか」と…。そして、ほとんどの人が幸せであることを望んでいると思います。

しかし、私たちを取り巻く現実の状況はさまざまな問題に直面しています。人口減少、少子高齢化、環境破壊、そして今回の震災。建設業界では、需要の低下と既存ストック活用による住宅着工戸数の減少や消費マインドの低下により働き手の淘汰が始まっています。経済成長期とは違って、まじめに働いているだけでは生きては行けない時代が到来しているように思えてなりません。

同様の危機感をもっている方は、少なくはないと思います。 この難局を、5人の「無名の建築家」たちは何をして生き残ろうとしているのか?10年後を見据えて、自分にやれること、自分がやりたいこと、そして自分のやるべきことが、何なのかを語り合う企画です。参加される方も気楽に話に参加していただきたく、「茶話会」と名づけています。

明るい未来を想像し、その想いを共有していきたいと願っています。多くのみなさまのご参加をお待ち申し上げます。

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10年後を語る人達

筑波幸一郎
1968年 大阪府生まれ
1992年 京都市立芸術大学卒業
    株式会社大林組入社
2005年 筑波建築設計工房設立
2007年 摂南大学非常勤講師
2009年 京都市立芸術大学非常勤講師


進藤勝之
1969年 広島県生まれ
1993年 広島工業大学工学部建築学科卒
    吉羽逸郎/アイ・エフ建築設計研究所入社
1997年 彦谷建築設計事務所入社
2003年 住友不動産株式会社入社
2007年 Atelier SETTEN設立


牧野高尚
1969年 和歌山県生まれ
1988年 高校卒業後映画製作に従事
1993年 島津建築設計事務所入社
1997年 建築家伊東眞一氏に師事
2000年 アトリエピクト設立
2009年 大阪建設専門学校非常勤講師


森本雅史
1974年 三重県生まれ
1996年 京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒
1998年 同大学院(岸和郎研究室)修了
    株式会社東畑建築事務所入社
2009年 森本雅史建築事務所設立
2011年 近畿大学工業高等専門学校非常勤講師


中澤博史
1969年 大阪府生まれ
1992年 近畿大学理工学部建築学科卒
    株式会社大建設計入社
1998年 中澤建築設計事務所設立

参加費は無料です。
参加申込はアリアフィーナ大阪ショールームまで。
氏名/年齢/住所/電話番号/参加人数を記入の上、以下のメールアドレスまでお申込み下さい。
ariafina-2@fjic.co.jp

2011年3月24日木曜日

イベント告知

トークイベントをおこないます。

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「拝啓 十年後のあなたへ」

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平成23年5月14日(土)
17:00~20:00 【茶話会】

平成23年5月14日(土)〜20日(金)
10:00~17:00 【企画展ー10年後のカギ展ー】