2010年11月10日水曜日

『就職戦線異状なし!』無事終了!















この度は『就職戦線異状なし!』に多数参加頂きありごとうございました。
当日はたくさんの学生に参加して頂き、とても活気のあるものになりました。
今回のシンポジウムは時間をお借りしてアーカイブしていきたいと思います。
参加者の皆さん、ゲスト参加頂いた皆さん、本当にありがとうございました。
とり急ぎ、この場をお借りしてお礼申し上げます。

2010年11月8日月曜日

『就職戦線異状なし!』就活について05

私の就職活動


今振り返れば、私の就職活動は1991年から1993年の2年間をかけています。あくまで今振り返ればですが、自分としては執念の強すぎる波乱の就職活動だったとでも言うのでしょうか・・・。


大学3年のゼミを選択する時、意匠系のゼミがいいと思い、そのゼミに潜り込む為の「営業活動」から始まります。ゼミの先輩の手伝いをしたり、ゼミに参加させてもらったり。自分はここに所属するんだという「熱い思い」をエネルギーに変えて行動していたと思います。


結果、ゼミに所属することができた私は、今度は「どこに就職するか」というより「どこで設計するか」という目標をたて、それに邁進することになります。自分なりの観点から一つの設計事務所を目標にあげ、オープンデスクという手段を使いながら狙った獲物を追いかけるようにその設計事務所に通いました。


大学では、その事務所に入る事を意識して設計課題に取り組み、卒業設計も取組んでいたように思います。その努力?の甲斐あって、あともう少しで目標を達成することができるという1992年の暮れ、その事務所にも「景気」という波が襲いかかってきました。そして私の目標は一瞬にして泡と消えていきました・・・。


目標を失った人間とはなんとも弱いものです。

しかし、追い込まれた人間は逆に強いものでもあります。


私はこういう就職活動を経て社会人になり、そして今があると言えます。私個人の強い「目標」によって、「時代」に右往左往しながらなんとか今にたどり着いたという表現が合うのかもしれません。


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あす、大阪本町にあるアリアフィーナショールームにて私たち5人によるシンポジウム「就職戦線異状なし!」を開催します。


五人五色の就職活動と、そこをスタートに社会人としての今までの人生を語ります。今はただの他人の人生で、ただの情報かもしれません。しかし、みなさんが必ず通る道です。具体的な行動を情報としてえるもよし、この先訪れる人生での波を感じるもよし。今後の学生生活から就職活動、社会人での営みにまでじわじわと効いてくるはずです、必ず。


明日、お会いできる事を楽しみにしています。

懇親会に参加できる方はそこでおおいに語りましょう!


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現在、定員に達しましたが、まだ参加を受け付けます。

ここからの申し込みについては立ち見になる可能性がありますのでご了承ください。

お問い合わせとお申し込みはアリアフィーナ大阪まで



文責:進藤勝之ー006190


2010年11月7日日曜日

「就職戦線異状なし!」就活について04

就職活動しなかった私

突然、高校生の時に映像に興味をもち始め、3月に卒業と同時に東京へ向かい映像の世界に飛び込みました。当然、履歴書も書いた記憶がありませんし、一般的な「就職活動」をしてこなかった部類です。その後、事情により建築設計を目指すことになるのですが、就職といった感じではありませんでした。小さな設計事務所で雇われる基準としては、「やる気」と「タイミング」が重要であり、給与の額さえ気にしなければ働くのに問題ない時代でもありました。

その後、ものづくりの方向性としての違いを感じ、アトリエ系事務所の門を叩くことに・・・。同じ建築設計でありながら建築取り組む姿勢の違いに愕然とし、このままではダメだとがむしゃらに建築に喰らいついていました。御縁あって先生に師事できたことは幸せなことであり、今もって心の支えとなっています。

就職活動について自身の体験談を語ることは出来ませんが、それまでの経験で学んだこと、今は専門学校で教え伝える立場となって感じることなどをシンポジウムで話したいと思います。他のメンバーとは明らかに違う芸暦なので面白いと思います。それではアリアフィーナで待ってます!
お問い合わせとお申し込みはアリアフィーナ大阪まで

文責:牧野高尚

「就職戦線異状なし!」就活について03

有利な世代が幸せなのか?

就職活動をしたのは、1991年。後にバブルが崩壊したといわれている年なのだけど、当時そんな認識を全くもっていなかった。自宅には就職案内の資料が段ボール箱で何度か送られてきたし、学校には企業からの案内が大量に来ていた。就職活動をしたというより、就職先を選んだという方が表現として近い気もする。今では考えられないが、他に就職させたくない企業が学生を接待し、囲い込むため旅行に行かせるなんてことも報道されていた。そんな時代だった。

大量の就職先の中から選んだのは、大手の組織設計事務所。大規模な計画に携われることに魅力を感じた。新卒でないと大手の組織事務所に就職できないと思っていたところもある。

就職という点でのみ考えると恵まれた時代だった。同期入社も多く、他の世代と比べると突出して同世代の人間が多かった。
もし今でも組織の中に残っていたら、どうなっていたのかなと思うことがある。そこでの生き残りは厳しいのものがあったと…。
就職活動が有利な世代が一概に幸せだとはいえない気がする。

文責:中澤博史-006146

2010年11月5日金曜日

「就職戦線異状なし!」就活について02

わたしの就職活動

現在、リーマンショック前の就職状況がうそのような就職難の時代。
私が就職した98年も、まさに就職氷河期でした。おそらく2.3年下の学年が一番の底の時代だったと思います。いつ就職するかによって、職場が違ってくることへの不公平感をもたれる方も多いでしょう。

私は、厳しい時代の中、たまたま運よく組織設計事務所に就職が決まり10年ほど働かせてもらいました。なぜその道を選んだのかと問われると、就職活動のスタートが大手ゼネコン、大手組織事務所から始まることが大きいと思います。また、アトリエ事務所に行くほど、何かに飛びぬけた才能を学生時代に自分から感じることがなく、大規模物件の経験ができたり、トータルに建築を考えることのできそうな組織事務所が、いいかもと考えていたことも確かでした。

時代の要請のなかスムーズに就職するのがいいのか、
時代に翻弄されながらも自分の進む道を思考錯誤しながら就職した方がいいのか
当日、私の経験の中からお話できればと思います。

人生を「点」でみるのではなく「線」としてみることができれば、視界が開けるような気がします。

文責:森本雅史-006072




2010年11月4日木曜日

『就職戦線異状なし!』就活について01

「働く」ということ「設計する」ということ


私が芸大を卒業し就職した頃は、今振り返ってみるとバブルが崩壊し景気が沈降していく時期でした。卒業を控えた半年くらい前から大学院に進むか就職するかを恩師に相談した記憶があります。恩師からアトリエ系事務所、組織設計事務所、ゼネコン各社を紹介されましたが、結局はゼネコンの設計部へ行くことになりました。


なぜゼネコンの設計部なのかと問われれば、当時から師事したいと思う建築家がおらず、設計しかしない組織設計もなんだか片手落ちの感じがして、設計と施工をおこなうゼネコンがいいなと感じていたことと、何色にも染まらんだろうという理由からでした。


結果、ものづくりしかしたことのなかった芸大生が、まともに社会性を得る会社という組織に就職していくことになったのです。


それが結果として独立し設計事務所を開いて、今に至るわけですが、その善し悪しについてはシンポジウムにてお話できればと考えています。


お問い合わせとお申し込みはアリアフィーナ大阪まで



文責:筑波幸一郎ー006025