2011年10月31日月曜日

『建築をあきらめない』独立宣言への追記

『建築をあきらめない』を終えて 〜独立宣言への追記〜

今回のイベントで話した僕の独立宣言は『アート(芸術)』を思考しているような誤解を与えたのかなと思う。けれど全く違うということだけは言っておきたい。

アートほど社会性を求めて貪欲に経済を指向しているものない。おおよその人は芸術は抽象的な存在、純粋な芸術家の想いの発露と思っているかもしれないが、まったく逆だ。そう考えていたり感じたりしている人は、アートが経済とコミットし社会的地位を向上させようと企んでいる歴史とその姿勢をもっと認識すべきだと思う。
いやらしいことに今流行りの建築思考も、同様のアートの香りをほのかにさせた作家姿勢のものが多い。嘆かわし状況だ。

「だまされるな」と言いたい。

僕はバーチャルなネットワークなどがつくり出す建築に未来などはありえると考えていないし、そんなものがあってはならないと思っている。そんなものにどんな可能性があるなというのか

冗談のように発言した『今までの歴史をつくった建築家が悪であり、それを叩きのめしたい』というのは本気である。これからつくる建築に対して『経済とコミット』するなんてさらさらないし、そもそもそれが今の諸悪の根源だと考えている。

「ではどんな建築を指向しているのか」って?

それは今の段階では、僕自身への絶対的な命題、使命だと考えている。正直に言えばものすごく選択肢や可能性を狭めて己自身を追い詰めているのだけれど、5年後にもう一度、お会いできる機会をつくり、途中経過かもしれないが『結果』で示したいと思っている。


文責:筑波幸一郎

2011年10月30日日曜日

イベントを終えて

SCMA企画第5弾(最終章)「建築をあきらめない」も無事終えることができました。定員を超える方に参加頂き本当にありがとうございました。改めて、たくさんの方に参加していただくことにより責任が生まれ、メンバーのモチベーション、イベント内容共に充実したものなることを学ぶことができました。またいつもお世話になっている建築家:吉井歳晴さんにも参加頂き、貴重な意見を頂きました。ありがとうございました。イベントでうまく伝わったところ、伝わらなかったところありますが、メンバー自身これからの活動に生かしてほしいと思います。

個人的には「あこがれ」を出発点に、建築を楽しむ姿を表現することで「あきらめない姿勢」を伝えるべくお話させて頂きました。一方向のレクチャーでありがちな重い空気を払しょくしたいと考えた、「パネルクイズ(建築版)」。25枚のパネルを1枚1枚めくりその下に隠れた建築を当てるというクイズ。試作状態ではありましたが、参加者を交えながらの進行に笑顔も見られ「建築をたのしむ」一端を感じてもらえたのではと思います。今後改良を加え授業でも使ってみたいと思案中です。また、ニュータウンを中心に活動する中、単体の建築をつくるだけでなく視野を拡げていくことの重要性を表現したかった手元資料「NABARIニュータウンマップ(案)」。こちらも改良を加え地元の仲間と協議しながら観光協会に乗り込みたいなと思っています。(ニュータウンの観光化ねらっています。)

今回進行役を仰せつかったこともあり、自分のレクチャーは簡単にしようと思っていましたが、考え出すと楽しくなり資料つくりに没頭。当日もひとり15分の持ち時間をオーバーし話してしまいました。タイムキーパーのアリアフィーナの寺田さんも、楽しそうにしているからと5分前の合図を遠慮してくれたそうです。感謝。その分シンポジウムが少し的を絞り切れなかったと反省しています。 以前働いていた事務所の仲間も参加してくれ、「楽しそうにやってるのがわかったわ」と帰り際に言ってくれました。個人的には、楽しそうにしていることを見てもらいたいのが一番だったので少しは伝わったのかなと安心しました。 吉井さんからの宿題でもある、憧れだけに終わらない具体的な「新しいリアリティー」を時間かけて探していきたいと思います。

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長くなりましたが最後に、もう少し・・・。
建築という定義を、現実・与えられた役割に即しながら自分自身で組替え発見していくことで、「建築をあきらめない」ということになるのか。それともあこがれた建築像を愚直に追い求めることが「建築をあきらめない」とういことなのか。答えは人それぞれだと思います。議論ではどちらが可能性があるかというような論調になってしましましたが、ふたつとも大切だとも言えるかもしれません。現にあこがれ程遠いことを感じた私自身、前者を理解した時、「救われた」と感じました。ただ言葉では理解できるが体が理解していない状態。残る違和感・・・。

一方で、憧れと現実は違うものだと子どものから実は考えていました。アイドルをみるようなまなざしですね。設計事務所の子どもであるからこそ分かる現実。という意味では、早くから建築をあきらめていたのかもしれません。ただ、その憧れがあるから現実とリンクするときが来るのだというイメージは持っています。そのイメージを求めて建築小僧よろしく、建築探訪に始まり建築に関わるさまざまなことに取り組む日々。

今回のイベントでは、現実に即した教科書的なものではなく、あこがれが可能性を切り開いていけるんだ、というどちらかというと力技的なものを伝えたかったのでした。たとえそれがピエロ的役割であっても・・・。あきらめそうになった時何が支えになるのか。それこそが「あこがれ」のもつ強さだと思うから・・・。

文責 森本雅史







2011年10月27日木曜日

ぼくの場合、あこがれからはじまった

ぼくの場合、あこがれからはじまった建築への道。
両親が設計事務所をしていたこともあり、こどもの頃から建築家へのあこがれは強かった。今にして思うとあこがれの対象が建築ではなく建築家という存在だったことがミソだ。アイドルをみるような感覚に近い。建築家が社会と接点を持ちながらスターのように影響を与えていくそんなイメージ。大学で教わった岸先生に言わせると「生まれてくるのが20年遅かった」と言われる時代遅れな感覚。思い返せば大学院の修士論文は、「戦後の東京計画における一考察」というタイトルで都市的状況から社会の時代性をさぐることがテーマだった。それは表の理由で、実際はメタボリズム全盛期、都市をデザインすることと時代の要請とリンクする高揚感のある時代を追体験したかったに他ならない。

建築は幅がひろい。奥行きもある。願望だが、建築に関わるすべてのことを体験してみたいと思っている。形にすることだけではなく、建築をみること、文章を書くこと、建築教育に携わること、街に関わること、住育に関わること・・・・。この建築イベントなどもそうだ。そんな経験をせずに諦めるには、もったいない、と建築小僧をめざすわたしは思う。建築という眼鏡を通して見る世界は、経験により違った姿を見せてくれる。それが楽しい。建築と関わることで、今まで見えてなかった世界が見えた時、建築をしていてよかったと感じる。日々の活動のなか、あきらめと可能性が同居する中、前に進もうと思える瞬間だ。

今回のテーマを「建築をあきらめない」にしたきっかけはいくつかある。
建築を取り巻く時代的背景が多様化し建築をつくることがむずかしくなってきたこと、この春から学生に教える機会があり、建築が憧れの対象になり得ていないことを痛感したこと、東北大震災を受けて無力感に打ちのめされた中、私たち世代が下を向いていてはいけないと感じたこと、この3つが大きな要因だ。建築は、理想と現実がせめぎ合うリアルな世界だ。リアルだから面白い。著名ではない地道に活動する私たちが語ることでリアリティあるイベントとなりえると思っている。

「あこがれ」は時として原動力となることもあるが、邪魔をすることもある。その「あこがれ」が明確なものではなく淡くつかみどころのないものだと気づく。その淡い「あこがれ」を有形のかたちに落とし込んでいくことで、あきらめない先にあるものが見えてきそうだ。マインド(理想)と具体性。まさに建築がもとめられていることだ。当日は、あこがれからスタートした人間の建築を楽しむことをあきらめない姿を少しでも表現できればと思っている。


文責:森本雅史 9210

2011年10月26日水曜日

「あきらめない」

今回のタイトルは「建築をあきらめない」だ。
簡単に成功や獲得できそうなもののことをいうときに「あきらめない」という表現は使わない。
既に成功や獲得できたものをいうときにも使わない。
容易には手が届かないけど、頑張ったら手が届く可能性がある場合に努力することが「あきらめない」なんだと思う。

5人のパネリストはみな建築の世界で生きている。
そういう意味では、既に手が届いている状態だといえる。
では、何に手を届かせることが難しく、「あきらめない」のか?
雑誌に掲載されるような作品を創造することなのかもしれないし、建築をつづけることなのかもしれない。
5人それぞれで、違うと思う。

失恋したときや受験で不合格だったときなど、人生にはあきらめないといけないことが多くある。
あきらめが肝心なんていう言葉もあり、そこに執着しすぎるのは良くない。
でも、まだダメだという結果がでていないのなら、立ち向かわないと道は開けない。
そのためには「あきらめない」が必要だ。

文責 中澤博史 - 9151 -

2011年10月24日月曜日

建築を続けるか

この仕事をしていくと、興味の幅がどんどん広がります。建築というベース大きさなのでしょうか。ものづくりを目指し、建築をつくることを自営という枠で行ってきた。しかしながら自身が思っている「建築活動」という領域を侵害し、可能性にかけてみたくなります。だからこそ地に足の付いた活動が大切と考えています。映画人が映画人であるように、建築人は建築人であることを誇りに思える活動をするために、建築活動をあきらめない姿勢を等身大で語ります。

文責 牧野 高尚

2011年10月23日日曜日

『建築をあきらめない』建築することの魅力

自分を建築設計へとつき動かしている『もの』は何だろう。


嫉妬や苛立ち、目に見えない屈辱感や焦燥感・・・・、ふりかえってみると創作の原動力はいつもそんな負の力が大きい。それはまだ自分が納得する『こと』が出来ていないからだ。僕はまだ建築において『こと』を成し遂げていない。


だから、建築における僕自身の身の回りに起こっている『こと』について、とても鈍臭い状況ながらも、まずは否定し、拒絶し、非難してみる。してみると言ったけれど、ほとんどが本能に近い感覚で、いつもその存在を受け入れようとしない。


それは無視することではなくて、自白すれば、絶対的な知識量がない分、おそらく他人の何倍もの労力を使って、使えない脳みそをフル回転させて、理解しようと努力する。その結果はいつもそれが自分の求めている『こと』でないことに気がつく。


最近はそういう自慰的な行為が自分自身を辟易させて始めているのだけれど、あわせてどんどんと先鋭化してきている感覚が生まれてきていて、朧げながらも建築設計へとつき動かしている『もの』が、創作という欲望だということに気がつき始めた。


なんという面倒くさい道を選んだのだろうと思う。


いろんな後悔が積み重なっているけれど、最近では、それは必要な時間を過ごしたに過ぎないと過信することにしている。


『建築をあきらめない』ということで語り合うと聞いたとき、ものすごい直球なテーマだと、正直、重いなあと感じたけれど、それは最初の『建築をめぐる22の寓話』というテーマで御為倒しを言ってごまかすことで納得しようとしていた自分への戒めと、再度、考える場を与えてくれた機会であるという気がした。


今の僕自身にとって、あらためて贖罪する場を与えてもらった気がしていて、建築をあきらめないという『こと』を語ることによって、建築において成し遂げていない『こと』を浮き彫りにできたらなと考えている。

文責:筑波幸一郎 - 9055 -

2011年10月22日土曜日

続けているもの それは「建築」のみ

このSCMA企画も5回目を数える。

その積み重ねの中で見えてきたものがたくさんある。

始まりは「建築を建築で語らない」というようなことだった。

結果、私たちは「建築」を語っている。

やぱりそこに帰ってくるのだ、建築をあきらめていないのだよ。


私はただいま42歳。

B型でふたご座、好奇心が旺盛だが飽き症。

そんな自分が唯一続けているのが「建築」だ。

「建築」というものに気付いて21年。

ちょうど人生の半分をこの「建築」と共に歩んでいる。

ほんと自分の半生だ・・・。

故郷を離れたのもこの「建築」のせい、

訪れた大阪での生活の山谷もこの「建築」が基準にあった。

ほとんどの人との出会いや別れはこの「建築」を通じてあった。

そして、今までたくさんの喜びと悲しみをもたらしてくれた。


そりゃ、あきらめられませんよ。

人生ですもん。

「建築」をあきらめられない、あきらめられる訳がない。

だって、あきらめたら過去の自分がなくなる。


「建築」っていろいろある。

堪え難きを堪え、忍び難きを忍び的なこともあれば、

心が折れそうになる時もある。

でも、やめられない「何か」がある。

この「何か」は未だになにか解らない。

ずっとそれが何か探している感じだろうか・・・。


42歳、B型、ふたご座の私でも「建築」はあきらめられないのだ。

そんな私が暗中模索しながら

「建築をあきらめない」今の姿を語れたらと思う。


文責:進藤勝之 - 9034 -








2011年10月20日木曜日

イベント「建築をあきらめない」























SCMA企画も今回で5回目となる。
「著名な建築家でない地道な活動をしているメンバーだからこそ出来ることをしたい」と毎回テーマを考えてきた。 (これまでの詳しい活動はこちらから)

今回のテーマは「建築をあきらめない」。

このイベントは、建築作品を中心としたプレゼンテーションではない。建築を取り巻く環境は厳しく、多様性を増している今、「あきらめない」パネリストが、そんな時代だからこそ広がる可能性の見出し方、建築との向き合い方を等身大の姿で語る。

参加した方々が、自らと重ね合わせることでヒントを得てもらい、それぞれの目指す建築に対してあきらめずに追い求めるひとつのきっかけになることを願っている。


なお、現在定員を超える申込が同世代・学生から届いており、反響の高さを感じています。定員に達しましたが、まだ参加を受け付けます。興味のある方はお早めに申込ください。文責:森本雅史 -8977

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■プログラム予定
①パネリストによるレクチャー
②シンポジウム+質疑応答
③懇親会(意見交換会)
■内容
それぞれにとって「あきらめない建築」とは・・・

(具体的な「事例」+抽象的な「想い」を中心にその先にある可能性を探る。 )
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■パネリスト(あきらめない人達)
筑波幸一郎
1968年 大阪府生まれ
1992年 京都市立芸術大学卒業
      株式会社大林組入社
2005年 筑波建築設計工房設立
2007年 摂南大学非常勤講師
2009年 京都市立芸術大学非常勤講師

進藤勝之
1969年 広島県生まれ
1993年 広島工業大学工学部建築学科卒
    吉羽逸郎/アイ・エフ建築設計研究所入社
1997年 彦谷建築設計事務所入社
2003年 住友不動産株式会社入社
2007年 Atelier SETTEN設立

牧野高尚
1969年 和歌山県生まれ
1988年 高校卒業後映画製作に従事
1993年 島津建築設計事務所入社
1997年 建築家伊東眞一氏に師事
2000年 アトリエピクト設立
2009年 大阪建設専門学校非常勤講師

中澤博史
1969年 大阪府生まれ
1992年 近畿大学理工学部建築学科卒
    株式会社大建設計入社
1998年 中澤建築設計事務所設立

■進行
森本雅史
1974年 三重県生まれ
1996年 京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒
1998年 同大学院(岸和郎研究室)修了
      株式会社東畑建築事務所入社
2009年 森本雅史建築事務所設立
2011年 近畿大学工業高等専門学校非常勤講師
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日 時/2011年 10月28日(金) 18:30~20:30頃
会 場/アリアフィーナ大阪ショールーム

    大阪市中央区安土町3-5-12 住友生命本町ビル1階
定 員/30名(要予約)
参加費/無料
主 催/大阪建築情報発信局[P2+SCMA] WEBサイト


参加費は無料です。 参加申込はアリアフィーナ大阪ショールームまで。
氏名/年齢/住所/電話番号/参加人数を記入の上、以下のメールアドレスまでお申込み下さい。
ariafina-2@fjic.co.jp