2011年4月24日日曜日

「拝啓、十年後のあなたへ」未来への階段

独立して13年。
夢見ていた建築設計を仕事として、今まではやってこれた。
でも、今後も途切れることなく仕事があるのかと、時々不安になる。
「今までやってこられたのだから今後も大丈夫!」って楽観的に考えようとするけど、でもやっぱり考えてしまうことがある。

プロジェクトでは、施主の要望を満たし、周辺環境を考え、自分なりの目標を設定して建築を造ってきた。そして、それをつづけていくことで、何か大きなテーマが見つけられるような気がしていた。でも、それだと階段を上っているような感覚があまりない。目標に一貫性がないから、一段上がっては下りて、また一段あがる。これの繰り返しなのだ。このことを防ぐには、確立した何か理念のようなものがいるのだと思う。

仕事としてやっていくには、自分の「能力」と「欲求」、「役割」を考えないといけない。
「能力」がなければ仕事ができない。
「欲求」を満たしてくれるものでなければ意欲が沸かない。
「役割」がなければ社会に求められない。
理念は、これら三つを満たしたものである必要があるのだと思う。そして、それに向かって階段を一段ずつでもいいから上がって行く。そうすれば、不安を感じることもなくなるような気がする。

将来の自分がこの階段の数段上にいて、その先にはどんな理念があるのかを想像したい。
イベントでは、それをみんなで共有して明るい未来を描きたいと思っている。

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イベントの詳しい内容、申し込みはこちら

文責:中澤博史 -8037

2011年4月22日金曜日

『拝啓、十年後のあなたへ』 ひまわりの可能性

わたくし牧野は現在41歳です。
過去にこんなことを考えて行動してきました。
7歳---近所のアトリエに通い、中庭でひまわりの絵を描いていました。
10歳---ゴッホに興味をもち、この頃の読書感想文は毎年「ゴッホ」でした。
16歳---なぜか工業高校の建築学科に入学する。
18歳---建築に興味が湧かず、映像に興味を抱き高校卒業と同時に東京へ・・・。
若かりし頃は常に華やかさを求めていたような気がします。
ちなみに私が尊敬する人物が私と同じような年齢の時に何をしていたかといいますと

黒澤 明氏
1910年 誕生
1950年 「羅生門」が公開。
1954年 「七人の侍」が公開
「羅生門」のころは配給が大映で、その後の「生きる」からは東宝配給。

山田 洋次氏
1931年 誕生
1972年 「男はつらいよ 又慕慕情」(マドンナ役は吉永小百合)
既に寅さんシリーズも第9作目。

積み重ねではありますが40代がヒジョーに面白い気がします。
たまたま後輩で漫画家がおりまして、昔に議論したことを思い出します。論点はアートは本当にあるのかないのかです。彼は漫画家として編集者と適切にことを進めていきマーケットあるいはメディアに対し明確に答えていくことが役割で必要なのだと説くわけです。ですから理解しにくい芸術たるものはないよと。しかし、クリエイターはわらないから挑み、そして創り続けていくのではないでしょうか。尊敬する手塚治虫氏も次々と新しいものを創り上げていきましたよね。人の心に届き刺激を与えるもの。私の原点はここにある気がします。
今は専門学校で教えていることもあり学生と話す機会が多く、最近はよく人生相談を受けます。相談の大半は「悩み」です。結局答えは本人しか出せないのではありますが・・・。しかし悩みぬくことが間違いなく次へのステップに必要なことだと思います。そんな私は建築一本ではない芸歴です。しかし、人生には何ひとつ無駄がないように思えます。さまざまな経験を活かし、社会に貢献できる活路を茶話会にて真剣に語りたいと思います。

「拝啓、十年後のあなたへ」十年後へ繋がる想い

「今、考えていることが十年後に繋がっている」そう信じ、今私が意識していることを出し切ることを今回の企画展の目標にしたいと思います。

地方で活動する私が今考えていること。
それは、建築単体のことだけを考えているのではありません。むしろ単体以外の事を考えざるを得ないというのが現実なのかもしれません。地方に共通する問題点、少子高齢化、医療崩壊、ニュータウンの高齢化、農村部の過疎化、旧市街地の衰退・・・。その中で当然、設計にたずさわっている人間ができることは限られています。それを承知で視野を広げること、地方のしくみに対することへの興味を持つことが大切ではないかと思っています。そのことが、ただでさえ仕事の少ない地方で生き残っていく術ではないかと思い始めています。仕事を待つのではなく探し、つくっていく姿勢。そのためのベースつくりの時期だと思っています。仕事も種類も変わってくるのかもしれません。建物をつくることだけが建築ではない。様々な与条件、問題点を整理し組み立てていくこと、構築していくことも建築ではないかと思います。

私の親は、設計事務所を当時造成されたニュータウンに開設し、街の勢いと共に忙しい中にやりがいを持って仕事をしてきました。そのいい残像を持って私もこの道に進んできました。当然自分も独立すると10年ほど組織事務所で働いたのち、なんとかやっていけるだろうと楽観的な考えで地元に戻ってきました。現実は厳しいものです・・・。しかし考え方によっては、仕事が少ない状況であることが、元気のない地方において自分自身のやり方を考えるきっかけになったように思います。「自分でできることは自分でする、出来ないことは集まってやる」そのことが地方を他人任せにしない一番の姿勢だと思っています。まずはニュータウンで生まれ、仕事をしている自分が郊外住宅地の状況・課題をより知ること、そしてそこで住むことの楽しさを形にすることを引き続き続けていきたいと思っています。

思い返せば大学院の修士論文は、「戦後の東京計画における一考察」というタイトルで都市的状況から社会の時代性をさぐることがテーマでした。大都市を俯瞰するのはなかなか難しいですが、小さな地方都市なら可能かもしれない。その中から普遍性を見つけていきたいと思います。建築が個として閉じてしまうのではなく、少なからず社会・歴史の中で影響力を持ちえるというイメージを持ちつつ、いい意味でも悪い意味でも、十年後も人工衛星からみたような俯瞰的視点をなくさずに仕事していてほしいな。 文責:森本雅史-8004

2011年4月20日水曜日

『拝啓、十年後のあなたへ』本物をめざして

建築がサブカルチャー的に扱われるようになって久しい。

小さな差異をこれでもかというこだわりで見せつけて、そこに過大評価がつけられていく出来レースがおこなわれている。
「いまさら建築なんてもうないさ!」といいながら、袈裟懸けに斬りつける、ひねくれた建築へのスタンスは、いつもイライラする感覚があった。
薄くて軽くて記号的な建築なんてくそくらえだ。

確かに流行言語、メディアの先端を目指す事は、同世代の過当競争を勝ち抜くための便利な手段ではあるけれど、そろそろ本気で本物を生み出さないと、本物の生存競争に生き残れない。
ほんものを知らない世代が生き残れるはずないのだから、老害世代からもっと昔話を聞き出し、醜いくらいに語り部として伝えてもらわなければと思う。

建築設計のつらいところは、つくってなんぼのところがある。

10年後、じぶんがどれだけの建築をつくりだしているかは皆目見当がつかないけれど、乱暴な言い方をすれば、重力に根ざした、重くて存在感のある建築をつくりたい。
その重さ、存在感の中に、どれだけ広大な空間がつくれるかに挑戦し続けたいと思う。


文責:筑波幸一郎 -7943

2011年4月19日火曜日

『拝啓、十年後のあなたへ』 はぁ・・・しんどい作業だ。

10年後の自分は何をしているのだろう?

今を精一杯生きているというのが今の自分にぴったり。

精一杯生きているから、10年後の事など考えられないというのが本音。

でも、独立しているからこそ10年後を考えていくことはとても大切という事はよくわかっています。

では、10年後の何について考えるのか。

建築のこと?

設計のこと?

住宅のこと?

家族のこと?

お金のこと?

人生のこと?

・・・いろんなこと。

10年後の誰も知らない未来を考える事は、誰も知らないだけに簡単そうで実は簡単でない。

そのこと自体、未来予想図をつくる事ではないような気がする。

将来、自分は「こうありたい」という願望であれば、それは努力目標であったり、ある一定周期(ここでは10年?)でのゴールに対する目標設定だったりするのだろうけど、そんなことではないような気がする。

自分としては、「行き先」を見定めるようなことだろうか・・・。

こういうことは頭で考えると凄く硬くなってしまいます。

表現しようとすると尚更硬くなってしまいます。

でも、それをしようと決めました。

そしてその事について話す、ひたすら話すという事で「行き先」を見つけていくということがいまの自分達には必要なのでしょう。

そのぼんやりとした「行き先」を見出す為に、過去通って来た道程を見つめ直すことから始めています。

それでもどんな自分に「なりたいか」を考える小さな自分がいます。



はぁ・・・なんとしんどい作業だ。

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文責:katusyukishindo -7911-

2011年4月7日木曜日

イベント『拝啓 十年後のあなたへ』

将来の自分がどうなっているのか、気になる方は多いのではないでしょうか。例えば10年後、「何をして暮らしているのだろうか」と…。そして、ほとんどの人が幸せであることを望んでいると思います。

しかし、私たちを取り巻く現実の状況はさまざまな問題に直面しています。人口減少、少子高齢化、環境破壊、そして今回の震災。建設業界では、需要の低下と既存ストック活用による住宅着工戸数の減少や消費マインドの低下により働き手の淘汰が始まっています。経済成長期とは違って、まじめに働いているだけでは生きては行けない時代が到来しているように思えてなりません。

同様の危機感をもっている方は、少なくはないと思います。 この難局を、5人の「無名の建築家」たちは何をして生き残ろうとしているのか?10年後を見据えて、自分にやれること、自分がやりたいこと、そして自分のやるべきことが、何なのかを語り合う企画です。参加される方も気楽に話に参加していただきたく、「茶話会」と名づけています。

明るい未来を想像し、その想いを共有していきたいと願っています。多くのみなさまのご参加をお待ち申し上げます。

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10年後を語る人達

筑波幸一郎
1968年 大阪府生まれ
1992年 京都市立芸術大学卒業
    株式会社大林組入社
2005年 筑波建築設計工房設立
2007年 摂南大学非常勤講師
2009年 京都市立芸術大学非常勤講師


進藤勝之
1969年 広島県生まれ
1993年 広島工業大学工学部建築学科卒
    吉羽逸郎/アイ・エフ建築設計研究所入社
1997年 彦谷建築設計事務所入社
2003年 住友不動産株式会社入社
2007年 Atelier SETTEN設立


牧野高尚
1969年 和歌山県生まれ
1988年 高校卒業後映画製作に従事
1993年 島津建築設計事務所入社
1997年 建築家伊東眞一氏に師事
2000年 アトリエピクト設立
2009年 大阪建設専門学校非常勤講師


森本雅史
1974年 三重県生まれ
1996年 京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒
1998年 同大学院(岸和郎研究室)修了
    株式会社東畑建築事務所入社
2009年 森本雅史建築事務所設立
2011年 近畿大学工業高等専門学校非常勤講師


中澤博史
1969年 大阪府生まれ
1992年 近畿大学理工学部建築学科卒
    株式会社大建設計入社
1998年 中澤建築設計事務所設立

参加費は無料です。
参加申込はアリアフィーナ大阪ショールームまで。
氏名/年齢/住所/電話番号/参加人数を記入の上、以下のメールアドレスまでお申込み下さい。
ariafina-2@fjic.co.jp