2010年3月8日月曜日

『そして、すべては寓話で終わる』伍


すべては寓話である


「建築をめぐる22の寓話」というトークライブからわずかばかり時間が過ぎ、今回の経験から何が生まれたかを私なりに考えてみた。


「22のトピック」から私が感じていたものが、ライブ後にどう変化があったのか…。


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イベントとしての予定調和やシナリオ、結論としての落としどころを見出さず、まさに「ライブ」で「トーク」する。しかも「建築で建築を語らない」事がどのようになるのか全く想像もつかない状況の中で、そこがあえて何かを生み出しそうで個人的にはワクワクしていた。通常なら少しぐらい緊張でもしそうだが、それも無く以外に冷静に行き先のわからない展開を楽しんでいた。



恐らく、語り手として立っている私達5人とオーディエンスとの差はなく、言葉を発することが優先的に許されているというだけで、マイクを向けるという行為一つでオーディエンスも違った形で22のトピックについて語ることができ、その発せられる言葉の力で新たなライブ感と新たな方向性が産まれてくるのだろう。自分自身が聞き手という立場になれば「何を言っているの?」となり、語り手という立場になれば「俺にも言わせてくれ!」となりえる可能性がこのライブトークにはあったように思う。それだけに「何なの?」と思わせるこのトピックに魅力があったのかもしれない。


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そして、ライブ後の私の中の変化。

22のトピックを語る事で私が見出したものは…



「すべては寓話である」という事である。


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世の中にある様々なものを身近な経験や事象に置き換えて伝えていくための「たとえ話=寓話」は、私の日常と建築を通じた活動の中に当たり前に存在し、当たり前に言葉にしている事に改めて気付いた。「22の寓話」を語りながら、ある意味そのまた「寓話」で語っている。


今回、私の中ですべては良き寓話に終わったのだった。


「建築」を「建築」を用いずに語るというルールの中で、建築を用いて表現している皆から「建築という物理的物体は様々な角度からの言葉、たとえ話、寓話を用いてはじめて建築になるのだ」という事を学んだのだった。



文責:進藤勝之-03264

写真:田籠哲也



2010年3月6日土曜日

『そして、すべては寓話で終わる』肆


時代を読めるか

建築に関する時代的状況への違和感から始まった、「建築をめぐる22の寓話」展とトークショー。

当日の討論は、何かの方向に集結していくのではなく、パラレルに並べられたテーマについて断片的に語っていくという形になった。ひとつひとつの断片をつなぎ合わせることで、建築を取り巻く状況がおぼろげながら輪郭として見えてくるのではという期待を胸に・・。あくまでも、思考のきっかけを与えることに主眼を置いていた。

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トークショーが終わり、どこへ向けての問いかけだったのか、どこまで批判性があったのかと自問自答しているときに、大島健二著「建築ツウへの道」を読んだ。構成は、今回のトークショーに近い。建築にまつわるトピックが並列して書かれ、読後に何か建築ツウになった感じにさせる本である。建築のもつ魅力・現状・問題点を簡潔にまとめられており、一般の人にも十分理解でき、建築に携わる人間でも楽しめる内容になっている。

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経済・社会・文化などの文脈で建築に関わるトピックを語っていくことが、建築を時代から孤立させない方法だということをこの本が教えてくれる。そのことにより時代的状況を浮き彫りにさせ、批判性を持ち得ているだろう。次への一手が見えない状況のなか、時代を読むことが必要とされている。この企画が今後のそれぞれの活動の可能性を拡げるものになっていければと思っている。


文責:森本雅史-03225
写真:田籠哲也



2010年3月5日金曜日

『そして、すべては寓話で終わる』参


分かりやすく語ること

建築家の文章には、難解なものが多い。一度読んだだけでは「?」な内容で、もう一度読んでみる。それでも理解できないものもあるが、「なんだ、そんなことを言っていたのか」と分かる場合もよくある。言葉そのものが難しいので、それに伴い内容も分かりにくくなってしまっている。プロ向けに発信しているので仕方ないのかもしれないが、もう少し理解しやすい言葉を使って欲しい、とよく思う。講演会で語られる内容も同様だ。

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一方、一般の人に向けた建築雑誌や書籍は、当然だが分かりやすく表現されている。「収納の工夫」や「すてきなキッチン」など、家を建てようと考えている人にとって、すぐに役立つ情報で満載だ。しかし、建築の本質を語っているものは、残念なことに少ないのが現状だ。もう少し一般の人にも理解できる建築の話があってもいいと思っていた。

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『建築をめぐる22の寓話』では、建築とは無関係のトピックスから建築について考え、語る試みだった。来場者は、トピックそのものに親しみをもち、それをどのように建築につなげるのか興味をもたれた方が多かったと予想している。今回は建築関係者に対しての企画だったが、分かりやすく親しみある言葉を使った建築の話は、きっと一般の人にも受け入れられるのではないだろうか。
タイトルにある「寓話」とは、道徳的な教訓を伝えるための短い物語・たとえ話である。『アリとキリギリス』や『北風と太陽』などのイソップ物語が有名だ。誰もが知っている動物や自然現象をもちいることで、物語の世界へすんなりと導き、教訓を理解しやすいものにしている。そんな企画になっていたと理解している。

『建築をめぐる寓話』を終えて

文責:中澤博史-03187
写真:田籠哲也

2010年3月3日水曜日

『そして、すべては寓話で終わる』弐



次をどうするか

「建築をめぐる22の寓話」展に来ていただいた皆さん、ありがとうございました。

企画展終了後、懇親会をおこない、参加者の方々とやり取りする場をもうける事も出来ました。話しを聞いていて「雲をつかむような話だったのか、それぞれに落とし込めた話だったのか」見えない部分もありましたが、皆さんと共有できたあの空間は本当に楽しいものでした。

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次回への反省と力強いモチベーションに置換えていきます。

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これから私は仕掛け人としてイベント企画をドシドシ打ち出していきたいと意気込んでいます。それも○×△=□?
みたく理解できないからこそ挑む、常にチャレンジャーでやっていきます。

そのためには建築を分かりやすい「かたち」で伝えていくこと。そして建築周辺から攻め込んで広げつなげていきます。

みなさんも一緒にグィーと広げてつなげましょう!今後、60年代と70年代のバトルもあるやもしれません。

そう、このLIVE感覚を活かしつつ展開しますよ。それでは次回をお楽しみに〜。

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『建築をめぐる寓話』を終えて



文責:牧野高尚-03096

写真:田籠哲也



2010年3月2日火曜日

『そして、すべては寓話で終わる』壱


「建築」と「ことば」


旧い世代になるのかもしれないけれど、「建築」はすでに「ことば」を超えた表現であるがゆえに、それを「ことば」によって説明しなければならないようなものは「建築」ではない、という思いがある。これは建築やデザインに携わる人たちの共通の思いだと思う。


けれども「ことば」を駆使することへ抵抗があるわけではない。実はその正反対で「ことば」で「建築」を語り尽くしたい衝動にかられることの方が多い。


ここ数年、建築に対して感じていた焦燥感の原因を探るべく、非常に私的なきっかけから、今回の『建築をめぐる22の寓話』展を企画したのだけれど、大前提としていたのは自分自身の「建築」を「ことば」で表現する術と理由を見つけることだった。


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今回の企画展・ライブトークは、「建築」を「建築」を用いずに語るというルールをつけた。


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結果としてもっとも驚いたのは、22のトピックを用意しそれらの寓話を語るというイベントに、大勢の人が参加してくれたことだった。参加した理由を尋ねると「22のトピックがきっかけだ」と言う人が殆どだった。


疑似餌として用意した22の「ことば」が人を集めたのだ。やはり「ことば」は「建築」を凌駕する力を持っている。べつにスケッチ展を催す必要はなかったかもしれない。


「建築の周辺」を「ことば」で語る人は多い。ゆるゆると周辺から本質に迫る最近の建築系の有り様は、建築の主流になりつつあると思うし、それらによって建築を“弄ぶ”には十分な土壌が今出来ていると思う。


そういった「建築」を「ことば」で語っていないという状況にイライラし、強い反感を感じていたのだ。

単なる趣味思考の範疇で付加される建築への「ことば」は、結果として見るべき「建築」を曖昧なものにしてしまっている。それがいいのだと言われるとそれまでなのだけれど。。。


結論として、僕自身の立場をあきらかに表明するとすれば、つくりあげた「建築」(あるいはつくろうとする「建築」)を、ひとつひとつ、それ自身について、丁寧に「ことば」で語っていこうと思う。


それは「建築」に内在する「ことば」を、使い手(住まい手や利用者)に届けたいということと、「ことば」のもつ力が「建築」を、使い手自身と一体化するための“触媒”として存在するものにしたいという純粋な思いからだ。


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でもまあ、

結局は、建築は建ちあがってナンボ、その本質や意義・意味などはそれ自身が語るべきものと思っているんだけど。。。



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『建築をめぐる寓話』を終えて



文責:筑波幸一郎-03036

写真:田籠哲也