すべては寓話である
「建築をめぐる22の寓話」というトークライブからわずかばかり時間が過ぎ、今回の経験から何が生まれたかを私なりに考えてみた。
「22のトピック」から私が感じていたものが、ライブ後にどう変化があったのか…。
イベントとしての予定調和やシナリオ、結論としての落としどころを見出さず、まさに「ライブ」で「トーク」する。しかも「建築で建築を語らない」事がどのようになるのか全く想像もつかない状況の中で、そこがあえて何かを生み出しそうで個人的にはワクワクしていた。通常なら少しぐらい緊張でもしそうだが、それも無く以外に冷静に行き先のわからない展開を楽しんでいた。
恐らく、語り手として立っている私達5人とオーディエンスとの差はなく、言葉を発することが優先的に許されているというだけで、マイクを向けるという行為一つでオーディエンスも違った形で22のトピックについて語ることができ、その発せられる言葉の力で新たなライブ感と新たな方向性が産まれてくるのだろう。自分自身が聞き手という立場になれば「何を言っているの?」となり、語り手という立場になれば「俺にも言わせてくれ!」となりえる可能性がこのライブトークにはあったように思う。それだけに「何なの?」と思わせるこのトピックに魅力があったのかもしれない。
そして、ライブ後の私の中の変化。
22のトピックを語る事で私が見出したものは…
「すべては寓話である」という事である。
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世の中にある様々なものを身近な経験や事象に置き換えて伝えていくための「たとえ話=寓話」は、私の日常と建築を通じた活動の中に当たり前に存在し、当たり前に言葉にしている事に改めて気付いた。「22の寓話」を語りながら、ある意味そのまた「寓話」で語っている。
今回、私の中ですべては良き寓話に終わったのだった。
「建築」を「建築」を用いずに語るというルールの中で、建築を用いて表現している皆から「建築という物理的物体は様々な角度からの言葉、たとえ話、寓話を用いてはじめて建築になるのだ」という事を学んだのだった。
文責:進藤勝之-03264
写真:田籠哲也
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