2010年2月23日火曜日

『建築をめぐる22の寓話』展終了

『建築をめぐる22の寓話』展

昨日はたくさんのご来場ありがとうございました。
SCMAの最初のイベントだったためいろいろと不手際があったかもしれませんが今後とも宜しくお願い致します。

またブログにて『建築をめぐる22の寓話』展の報告をする予定にしています
ご意見などを頂ければ幸いです。

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2010年2月20日土曜日

『建築をめぐる22の寓話』トピック22


建築家は喧嘩師であれ

今回のトピックは『デザイナーは喧嘩師であれ』という川崎和男氏の書籍に由来する。その著書の各章の素敵なタイトルと、信念に貫かれ愛情ある吟味された文章は必読だ。


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僕はいつも建築でどうやって生きていけばいいのかを真剣に考えている。


生きていく上で、いたずらに私情で腹を立てるということは好ましくない。しかし、建築をするという公の立場において、何が正しいかを考えた上でこれは許せないということに対しては大いなる怒りを持たなくてはいけない。


建築にたずさわる多くの人たちは相反する事実に苦悶している。それは何かと言えば、負の要素として存在する市場原理やクライアントの意向、それらを含めたさまざまないやらしい要因が、建築の力でより良い未来をつくっていこうとする思いと対立するだけでなく複雑に絡み合っているからだ。結果、建築をつくるという行為自身の、境界線そのものが曖昧になっていく。


『義憤を持て!喧嘩師であれ!』


人はそれぞれの立場において怒りを持たなくてはならない。まして昨今のように日本と言わず世界と言わず、多くの難局に直面し、むずかしい問題が山積している時には、僕たちいわゆる今後10年を決めるべきオトナの世代が、欲望のまま進んでいる輩(それは次の世代かもしれないし、上の世代かも知れない)に対して、きっちりと引導を渡すべきなのだ。


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『建築をめぐる寓話』まであと2日



文責:筑波幸一郎-02800



2010年2月19日金曜日

『建築をめぐる22の寓話』トピック21


ありがとう浜村淳的パースの描き方


「さてみなさん、聞いて下さい」という枕詞から名調子で語る関西が誇る喋りスト、浜村淳。1974年から続くMBSラジオの『ありがとう浜村淳』を知らない関西人はいないだろう。バブル期にはおニャン子クラブを輩した『夕やけニャンニャン』にも出演していた。


浜村淳の最大の特徴はその独特の節回しと言葉の意味を噛み砕いて話すところにある。どんなにわかりやすい言葉でも噛み砕いて説明し、その説明が枝葉末節、全く関係のない方向へと話題が広がっていくところに魅力がある。


映画解説は独特だ。批評というよりも物語りの語り部、映画を見た気分にさせてしまう。ネタバレ等おかまいなしにエンドロールの隅っこまでしゃべり尽くしてしまう。実際の映画よりも面白い時があるほどだ。


で、さて。

『そこまで言ってしまう必要はないのでは。。。』『そこまで言ったらおしまいやん。。。』という意味でありがとう浜村淳的うんぬんという形容詞を使わせてもらっている。ここ最近の傾向として、本来であれば建築する人そのものが考えるべき領域までハウツー本なるものが出ていて、結構な値段で売られ、売れている。模型の作り方しかり、パースの書き方しかりだ。


そもそもはどうやって作っているんだろう、描いているんだろうと思いながら、見よう見まねで自分自身の力技を磨くべき創作の入り口の部分が、いとも簡単に情報開示され、それを模倣していく。


情報開示も模倣も結構なことだ。けれど僕自身は「これはいかん兆候だ」と感じている。

考え、試行錯誤すべき事柄がコピペのごとく手に入る状況は、その分野の衰退をまねく。しっかりとした形のハウツー本であればいいが、いわゆるヘタウマや作家性に依存するそれらの本は、今の建築学生や20代30代が無抵抗に受け入れていく。


以前、このようなことを仲間内で話したけれど、なにが問題なのか、なにがいけないのかわからないと言われ、逆に大ショックを受けてしまったほどだ。


今の子供は辞書を引かない。ネットや電子辞書を使う。辞書を手で繰り目的の言葉を調べ、その言葉に並ぶそれ以外の語彙を見ることによって日本語を覚えていく。それは雑学ではなく知識として沈着していくものだ。


ものづくりにはそういった面倒な作業、苦痛・痛覚に似た感覚が必要である。それに鈍感になってはいけない。

盗み模倣される与える立場にならねばならないのだ。


それを売り物にするのはどうにも許しがたい。



『建築をめぐる寓話』まであと3日


文責:筑波幸一郎-02761


2010年2月18日木曜日

『建築をめぐる22の寓話』トピック20


知りすぎたバブル世代


「バブル世代」とは、日本でバブル景気の頃に成人・就職した世代である。(by wiki


日本が高度成長期の真っただ中に産まれ、おおいに贅沢に甘やかされて育ち、校内暴力やツッパリ(不良)といった反体制を象徴する若者として成長し、そうでない者は受験戦争の戦士として一律進学良しとする価値観の中で成長した。その先には天下泰平の学生生活が待ち、バブル景気を背景に売り手市場の苦労なき就職が待っていた。デザイナーズブランドブームや女子大生ブーム、ディズニーランドに象徴されるテーマパーク建設ブーム、どんどん供給されるサブカルチャーにどっぷりと浸かり、苦労することも知らずただ楽しく生きてきた世代。ただそれはバブル経済という巨大な力のもとに成立した幻想で、そこで成長してきた世代の人間は「まったく使い物にならない」とまで評されている。


しかぁし!

そんなまるめ方される覚えはない。


と思う少数派の人間もいることをここで改めて主張したい。「バブル世代」といえば今で言うところの「アラフォ世代」とほぼ一致する。ではこのアラフォ世代は、今社会においてどういった立場の人間たちなのか。日本を引っ張る現役ど真ん中世代なのだ。おっさん臭い言い方だが正真正銘この先10年を牽引していかなければならない世代である。

実はこの世代はバブルと失われた10年の両方見ている。見ているというより理屈抜きで体験している。そして40代を迎えた今、その体験を価値観として熟成させて、いうなれば武器にしてこれからを支えていく人間が確実に出てきているのである。それを同じ世代の私達は感じている、ここにもあそこにも戦うバブル世代が居るという事を、匂いがするのである・・・。


ん~何て言うのだろう。

とにかく一般的に評されている「バブル世代」の中には、その成長した時代背景がゆえに多様で豊かな価値観を持ち、可能性を秘めた「熱い」人間がたくさんいるのである。


そんな人間たちを「知りすぎたバブル世代」と言おうか。

そして、ここからの10年が「知りすぎたバブル世代」のフィールドなのである。


『建築をめぐる寓話』まであと4日


文責:進藤勝之


2010年2月17日水曜日

『建築をめぐる22の寓話』トピック19


エッジから攻める

子供というのは、遊びながら食べるのが好きである。先日も、『バームクーヘン』を周りから年輪(?)をはがすように食べていた。親として軽く注意はしたが、強くは叱れない。自分自身にも思い当たる節があるからだ。

僕の場合は『コロン』だった。 円筒形のクッキー生地にクリームが充填されているグリコのお菓子だ。中のクリームを残して外側を先に食べるのが好きだった。カッコつけて言うと「エッジから攻める!」のだ。そうすると残ったクリームの比率が大きくなり美味いのだが、それよりもそんな食べ方が楽しかったのだ。

建築をその周辺から考えて創造すると面白いものが出来るとある先輩建築家に聞いた。建築の周辺とは、ランドスケープ、プロダクト、土木などのこと。何を主題として建築をつくるかを考えるとき、それを建築の中から見つけるのではなく、周辺からの視点を加えることで魅力のある建築が生まれるというのである。話が難しいのでかいつまんで言うと「エッジから攻める!」のだ。

『コロン』の場合、外側を先に食べる食べ方とは反対に、中のクリームを「シュポッ」と勢い良く吸い込むようにして食べる食べ方もある。「よいこのみんなはマネしないように!!」な食べ方だ。これもまた楽しいのである。これは、言うなれば「エッジを攻める!」だ。

近年、建築家による様々な分野への進出が盛んである。建築を設計する能力は、他の分野においても同様に発揮することができるからだ。分かりやすく言うと「エッジを攻める!」のだ。

「エッジから攻め」そして「エッジを攻める」。建築においては周辺から考えることも、周辺分野に進出することも、領域を広げることができて初めて達成できる。小さな世界に閉じこもらず、その壁を取り払おう。

『建築をめぐる寓話』まであと5日


文責:中澤博史-02600



2010年2月16日火曜日

『建築をめぐる22の寓話』トピック18


EXILEとAKB48


プロデュースの時代だ。

音楽界では、90年代の小室哲哉の小室ファミリー、00年代のつんくのハロプロ、さらに最近の島田紳助のヘキサゴンファミリー・・・と衰えることを知らない。

建築界でもプロデュースの波が押し寄せている。住宅設計のプロデュース会社の出現により建築家の商品化が進んでいる。


今回のテーマは、「EXILEとAKB48」。


AKB48は、秋元康がプロデュースしているアイドルユニット。身近なアイドルを目指し、アイドルが成長する様子を見てもらいファンと共に成長するというプロジェクト。「会員番号の歌」で「~あなたの心のガールフレンド♪」と歌っていたおニャン子クラブを思い出させる。ちなみに秋元康と聞くと我ら世代は、「うしろゆびさされ組」の高井麻巳子と結婚した憎きヤツという印象をもつはずだ。・・・きっと。


一方、EXILEは、2年連続レコード大賞受賞のダンスユニット。メンバーを増員するなど最近あらたな展開を見せ、歌・ダンスだけに留まらず様々な活動を展開している。驚いたのは「月刊EXILE」という雑誌を出していること。グルメもありのファッション雑誌のような体裁だ。まさにセルフプロデュース。歌・ダンスというど真ん中での勝負に飽き足らず、ユニット活動の環境全体をつくってしまうことを目指しているかのようだ。


「EXILEとAKB48」とも大人数ユニットで固有の顔が見えない、(というか覚えられない)という共通点はあるが、方向性は全く違う。

建築家もEXILEのようなセルフプロデュースへと向かうのか、AKB48のようにアイドルとしてプロデュースされ続けるのか・・試される時が近づいているのかもしれない。



文責:森本雅史-002492


2010年2月15日月曜日

『建築をめぐる22の寓話』トピック17


建築家すごろく


the lost decadeー失われた10年、バブル崩壊後の1993年から2002年を指す。


1986年の雑誌『建築文化』を読み返してみる。宮脇壇が若手建築家が住宅をせずに巨大建築ばかりに傾倒していく当時の現況を嘆き「住宅建築とは」と語った寄稿文を寄せていた。世はバブル景気が始まったばかり。


建築家への道が明確にあった時代があった。まずは身内の住宅でデビューし、小さな公共建築を手がけ、大きな国家プロジェクトや国際的な建築をつくりあげる。巨匠と呼ばれる建築家がまだまだ健在で、それは『建築家すごろく』と呼ばれた。


まだ40代が新人建築家と呼ばれていた頃の話。


今は30代がU30と呼ばれて新人的な扱いを受けている。しかしそこには往時の輝きはない。絶対的な存在が不在で、いわゆる人気キャラが乱立する状態だ。


彼らは、今やコミケに並ぶ同人誌の多彩なジャンル・カテゴリーが如く、建築家の役割を細分化し、自ら「建築家と呼んでくれるな」と宣い、かつてゼネコンやコンサルがやり尽くしたリサーチベースの商業建築などをクールハース風と言いながらリメイクし始めている。今をときめく情熱大陸、トップランナーのごとく。。。


疲弊した日本にはかつてのような巨大な国家プロジェクトはなく、かと言って潤沢にそれ以外の建築家需要があるわけでなく、結局、国内では趣味的な雑誌の読者を相手に小住宅をつくることに埋没し、国外では共産主義や新興国のイデオロギーに振り回され、地球規模のバブルに入り込み、自らの立ち位置が確認できない。見えないループに入っている。


それは宮脇壇が「今の若手は・・・」と嘆いた状況とはまったく違うステージになっていることを示す。しかし、それはあくまでのまわりを取り囲む条件の話だ。


自らを創作者であるとするならば、しぶとくしつこく、そして明るく・楽しく・面白く戦うしかない。


何を隠そう建築家にとっての「失われた10年」に属するのは、バブル期に建築を学んだ僕たちの世代なのだ。




文責:筑波幸一郎




2010年2月14日日曜日

『建築をめぐる22の寓話』トピック16


「駄サイクル」に見る希薄感


『ネムルバカ』というマンガをご存知だろうか。ネットでは割と話題になっている作品なので知っている人も多いと思う。コミックリュウに隔月連載だった石黒正数『ネムルバカ』(全1巻)。今時の女子大生がモラトリアムな日々をだらだらと過ごしている日常を淡々としたテンポで描いている作品。


面白いのは多分、作者の性癖なのだろうけれど、辛辣にアーティスト感を突いているところ。「駄サイクル」という言葉で「ものづくり」を目指す多くの人間が感じるであろう等身大の悩みや惰性をものの見事に描いている。


そのくだりを引用

先輩「あー、駄サイクルだねー。」

後輩「ダサイクル?なんすかそれ?」

先輩「私の造語、ぐるぐる廻り続けるだけで一歩も進歩しない駄目なサイクルのこと。輪の中で需要と供給が成立しちゃってるんだよ。自称ア~チストが何人か集まってそいつら同士で 見る→ホメる→作る→ホメられる を繰り返してるんだ。それはそれで自己顕示欲を満たすために完成された空間なんだよ。」

後輩「はぁ~、なるほどー。」

先輩「で自称ア~チストってのは常々やってて楽しいと思える程度の練習はするが、本当に身になる苦しい修行はツラいからせず・・・一方的に発表できる個展はするが、正式に裁きを受けるコンペやコンクールは身の程知るのが怖いから出ず・・・馴れ合いの中で自分が才能あるアーティストだと錯覚していく・・・駄サイクルの輪は自称ア~チストに限らず色んな形でどこにでもある・・・」


この『建築をめぐる22の寓話』が駄サイクルのひとつなのか、違うベクトルなのかはトークライブに来てもらえばわかると思う。建築を“見せず”に建築の輪郭を“明確にする”というのは簡単なようでいて難しく、誰かがやっているようで実は誰もやっていないということに気づいてもらえるはずだ。


最近流行の建築系のイベントの多くはこの「駄サイクル」の迷宮に入っているように感じる。勝手メディアの活用も巨大な建築模型の展示も外に開いていはいまい。


よく似た手法、企画、理論をデジタルコピーのごとく繰り返し、それを「透明感だの、モアレだの、浮遊だの、フラクタルだの」と名付けて、結果、希薄感のみが広がっていく。中身がないのだから恐ろしい。


是非『ネムルバカ』をご一読下さい。

もとい『建築をめぐる22の寓話』に来て下さい。


『建築をめぐる寓話』まであと8日


文責:筑波幸一郎-02373




2010年2月13日土曜日

『建築をめぐる22の寓話』トピック15


ダイワマンが意味するところ


ハウスメーカーのコマーシャルは実に多彩で面白い。

役所広司のダイワマン、木村拓哉とタマホーム、へーベルハウスのラム一家などなど。一度見たらそのCMキャラクターイメージが脳裏に焼きつく。そしてそれは過激さの一途をたどる。


ダイワマン!役所広司!、ダイワマンX!?、唐沢敏明!!

物語はどんどん進んでいく。次はどうなるんだろうと期待する。


コマーシャルの最大の目的は企業イメージおよび商品イメージをきっちりと伝えることにある。それはイメージであり実態ではない。


だから面白い。


多くの人たちは「家を買う」と表現する。ライフスタイルを「買う」のだ。家電製品や衣服、車やバイクなど自分を彩るものすべてを「買う」。


その延長線上に「家を買う」。


ライフスタイル=暮らしを「買う」とはどういうことか?何を意味するのか。それは考えることを否定することに等しいと僕は思う。


テレビではお笑いタレントやおバカタレントが席捲し、雑学を多く知っていることが頭が良いことだと勘違いし、知らなくてもいい漢字を即答できることが秀才に見えるらしい。


それらすべては考えることをしなくなったからだ。少なくとも僕の親父の世代ではこんな馬鹿げたテレビや情報を子供たちに見せられることはなかった。

街中や近所には恐ろしいくらい怒る親父やおばはんがいて、何をしてはいけないか、何をすればいいか、考えることを繰り返しさせられた。


そんなこと、みんな知っているはずなのに。。。


イメージを売るしかないコマーシャル。

その代表は家だろう。ひとそれぞれに多様にあるライフスタイル=暮らしそのものをイメージとして売ることができないから、キャラクターやそれ以外のものに頼るのだ。


それは決して悪いことではない。「それを知った上」でという注釈がつくけれど。。。


文責:筑波幸一郎


2010年2月12日金曜日

『建築をめぐる22の寓話』トピック14


ドバイと宇宙ステーション

中東の中でオイルマネーによる発展が望めないドバイは国土全体をリゾート&遊園地化することで世界中の投機マネーを呼び込み、しかも次世代エネルギーを軸とした国土開発による建設を中心とした政策で世界経済を牽引していました。

そんなドバイも昨年の11月にドバイ・ショックが起こりました。欲望の渦を止めることが不可能なのか、世界中で不協和音が起こっている中、経済的には中国マネーが大きな影響力をもって席捲しています。日本へ大挙して観光旅行に来て高級ホテルに宿泊し日本製の電化製品を買い漁っていく姿は、バブルの頃の日本人をそのまま鏡に映して見ている気がします。同じ過ち、いつか来た道を邁進していることは間違いないと確信しています。

世界不況を脱するためという大義名分で、今、ふたたび中国や新興国の投機マネーが流出入しどこに向かうかわからないままあらゆる欲望を孕んで進んでいこうとしています。

実はそんな大袈裟なことを言うつもりも考えていることもありません。
単純に直感、第六感、今なら間に合うといった感覚です。それを担っている世代になったと実感しています。

言いたいことは至極単純。中国で建築をつくることやドバイで建築をつくることは、バブル期にこの国を席捲したバブル建築と同じで、それに加担した建築家はいずれは転向を余儀なくされるということです。
バブル期につくられた多くの建築が、建築家にとっての功名が辻、その後、そ知らぬ顔で転向し、したり顔で建築をつくっているどこぞの建築家と同様にならないことを祈り、誓います。

ほんとうは自分たちの生きるべき範囲を超えて生活をしてはいけないのではないかと考えています。地産地消を徹底しろとは言いませんが。。。。。

本気で新天地、功名が辻を目指すのならば宇宙でしょうかねぇ。


文責:筑波幸一郎-02330

2010年2月10日水曜日

『建築をめぐる22の寓話』トピック13


twitterする総理大臣」


私もtwitterをやっている。なぜやっているかというと「試しに」である。何を試しているのかというと、自分の行動や思考を不特定多数に「一つの情報」として流した時に、一体自分がどう変わるか、また自分の周辺がどう変わるか、さらにはtwitter自体が何をもたらしているのかを感じる事が出来るのではないかというところからである。

少し前、いや、情報のスピードから言うともう一昔前か。私はBlogなるものを始めた。これもtwitterと同じ動機である。

この二つのメディアを通じた発信により私が感じているのは、良い意味で個々のコミュニケーションの距離が縮まっているのではないかという事。これは物理的距離と精神的距離共に縮めているような気がする。パソコンさえあれば、いや携帯電話があればBlogtwitterはフォローする事ができ、その個人の動きや価値観が情報として手に取ることができる。Blogが日単位ならtwitter は時間単位。その情報発信の時間的スパンが短くなれば短くなるほど、フォロー相手との距離が短く感じる。


しかしである。


その距離はフィクションなのだろうか、ノンフィクションなのだろうか? 情報には必ず操作がある。発信する側の操作である。脚色や取捨選択である。この事実はいい悪いでなく、そういった情報とはそういうものであるという事を認識しておかなければならないという事である。twitterから得る距離感は身近なものと同時にフィクションであるかどうか、受けて自身がしっかりと判断しなければならないと私自身深く思っている。


twitterする総理大臣」。我が国の総理大臣は何を考えてtwitterしているのか。国民との距離をこのツールで縮めたいのだろうか。国民に大衆化したメディアを通じて発信すれば、国民に広く理解されるとお思いなら大きな間違いだろう。そんな事解らない人間が一国の総理をしているのなら情けない話だ。


「政治は言葉」である。


政治家であるはずのあなたが、国民に対する迎合や言い訳の道具として「試しに」使わないでくださいね、リアルはどちらにあるのでしょう?政治家であるあなたならよくお解りですよね、鳩山総理。


文責:進藤勝之-02293



2010年2月9日火曜日

『建築をめぐる22の寓話』トピック12


ありがとう浜村淳的模型のつくりかた


模型づくり。教えている専門学校にて生徒からのリクエストがあり、授業で模型作成をしましたが私的には教えることがない。完成模型のように精度を求められているならばテクニックが必要だけど、あくまでスタディー及びプレゼンテーションモデルの場合はどのように思考していくかが重要。トライアンドエラーがとっても大事で初めからきれいに造っちゃうと壊したくなくなる。だから、浜村淳さんのようにご丁寧にネタばれ説明しちゃうときっと思考が停止しちゃう。まあ、浜村さんはそこまでグイーっとひっぱても面白いからいいけどね。でも目的はあくまで思考のツール、そしてプレゼン用でしょう。ガンガン壊してつくるべし!まあ、とある建築家は住宅のスタディーで100個模型をつくり検討をするというから恐ろしい・・・。これ当然実話。


文責:牧野高尚-02262



2010年2月8日月曜日

『建築をめぐる22の寓話』トピック11


キムタクとタマちゃん

昨年夏ごろから『タマホーム』のCMが『みのもんた』から『
キムタク(木村拓哉)』に変わった。ターゲットをそれまでの年配から子育て世代へと移すのが目的なのか? 庶民的なイメージを払拭し、オシャレなイメージに変わろうとしているのか?

ディープ・パープルの曲をバックに室内を歩き回るキムタク。
サンドバッグを打ち、ボーリングの玉を投げた後、パソコンの前に座る。映し出された画面には一通のメールが・・・「はじめまして。タマホーム社長の玉木康裕(タマちゃんです)です」訳が分からないと言わんばかりの表情で「タマちゃん?」とつぶやいた直後、「タマホ~~~~~~ム♪」と再びバックミュージックが流れる。幸せそうな家族像や住宅の特徴などいっさいアピールせず、これが住宅メーカーのCMだったのだと分かるのは、ラストに激しくシャウトする社名のみ。しかし、意味不明であるにもかかわらず、なぜか強烈なインパクトをもって脳裏に刻まれる。

『タマ』という名前は日本人には馴染み深く、
例をあげればキリがない。多摩川に現れたアザラシや『ちびまる子ちゃん』の友だち。とりわけ、ネコの名前には多くあり、『サザエさん』の家にもいるし、駅長を務めているネコだっている。『タマホーム』が決して覚えにくい名前ではないが、『タマちゃん』のほうが遥かに覚えやすく、そして親しみがわく。意味不明の内容と相まって知名度は確実に向上したのではないだろうか。低価格を売りに販売数を延ばしてきたタマホーム。「ハッピーライフ、ハッピーホーム、タマホーム♪」一度聞いたら忘れられない。以前から知名度やブランド力の向上に力をいれていたのが良く分かる。

知名度の高いものほど信頼できるという考え方を多くのユーザーが
持っている。ブランドによって安心を得る者も多いだろう。僕自身もそういうところが多分にある。でも、本当に自分にとって必要なものや価値観に合っているものが何なのかを考え、選択できる目を持ちたい、と思う。タマホームの住宅に限らず、どんなものでも知名度やブランドによって良く見えてしまう目を改めたい。


文責:中澤博史-02228


2010年2月7日日曜日

『建築をめぐる22の寓話』トピック10


建築グータンヌーボー


10年以上前ですが「協奏曲」という木村拓哉主演、田村正和、宮沢りえ共演の豪華キャストで建築家という職業を軸にした恋愛ドラマがありました。オトナの恋愛物語として上質なつくりで視聴率も高かったのですが、建築設計をしている仲間と『建築でこんな恋愛話ってあんまりないんじゃないかなあ』と話していたのを覚えています。仕事柄その設定とうらやましい限りの恋愛模様にギャップを感じてのめり込めなかったのだと思います。(キクタク、宮沢りえ、田村正和の三角関係だもんなあ。。。)


このドラマを見て、あるいはその当時、建築家志望の男性と出会って結婚して果たして幸せになった人はいるのでしょうか?そして主演だった木村拓哉演じる若手建築家がもし現実に居たとしたら、ここ最近の不景気でどうなっているのだろうかと考えてしまいます。



インターネットの離婚相談には以下のような相談を見受けることが度々あり、我が身にふりかえり胸が苦しくなることが多いです。


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結婚して10年目になります。フルタイム勤務で子どもが乳飲み子の時からバリバリに働きもうボロボロ状態です。年下の夫は建築家目指して独立3年目。年の差や不況の影響もありますが、独立前は私の年収のほぼ半分、独立してからの収入はほぼゼロ状態。将来の見通しはまったく不明です。応援したい気持ちはあります。けれど、言葉の暴力や家の中の物を壊したりと、もう我慢の限界です。
私としては、建築を続けたいならどこか雇ってくれる組織に属した方が、精神的にも経済的にも本人のためになるのではと思うのです。何度となく離婚話をしましたが、本人はまるでその気がなく(多分、ひとりで生きる自信がない)一向に話がすすみません。もういい加減尽くしたつもりです。今後はきっぱりと他人になって遠くから見守りたいと思っています。円満に離婚できる方法を教えていただけませんか?」


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世の建築家志望の男性、女性諸君、最近の建築系の恋愛話をしてくださいな。



文責:筑波幸一郎-02191



2010年2月5日金曜日

『建築をめぐる22の寓話』トピック09


70年代生まれは本当にオルタナティブか?


その問いを考えるヒントとして、建築史家・五十嵐太郎氏の藤本壮介作品集「原始的な未来の建築」の文章を抜粋する。(以下抜粋文)


「・・・・1990年代の後半、アトリエ・ワンやみかんぐみなど、複数の建築家がチームを組むユニット派と呼ばれる世代が頭角を現した。1960年代生まれの彼らは都市を観察し、さまざまな状況や外在的な条件から日常性の感覚をもつ建築を導きだす。バブル経済の時代に流行した自意識過剰なポストモダンに反発したことが、こうした態度を招いたのである。ユニット派は、英雄的な建築家のふるまいや、フィクション性が強い形体操作を好まない。しかし、藤本は、ルイス・カーンやル・コルビュジェなどの巨匠を直接的に意識している。彼を含めて、石上純也、平田晃久などの1970年代生まれの建築家は、個人の活動が目立つ。彼らは、まわりの敷地を説明してから建築を組み立てるよりも、ストレートに新しい建築の原理そのものをつかみだそうとしている。そして光の見え方や複数の人の関係性など、固有の場において生起する現象に大きな興味を持つ。・・・・」


70年代生まれの僕個人の認識としても、ユニット派の世代の、主体を消していくその手法に物足りなさを感じていたことは確かだ。「私が」という主語の氾濫したポストモダン建築に嫌悪感を抱いた上の世代に対して、我々の世代は、何に対して化学反応を起こしているだろうか。表層的なものではなく理念を打ち立てることから出発することで、結果としてモダニズムを超えようとしているのか・・・。


建築・社会の動きなど同じ時代を共有するからこそ生まれるムーブメント。

建築の流れでは、伊東豊雄氏の「仙台メディアテーク」を、社会の動きでは、「オウムサリン事件」、「阪神大震災」、「情報化時代の加速」を学生もしくは社会人初期に体験したことがポイントしてよくあげられている。


22222トークセションのパネリストは、私以外は60年代後半の方々。何やら70年代生まれの代表のような立場に置かれるのでは?と不安がよぎる。70年代生まれの方にぜひ参加頂いて、後押ししてもらえればありがたい。


文責:森本雅史-02128