2010年2月10日水曜日

『建築をめぐる22の寓話』トピック13


twitterする総理大臣」


私もtwitterをやっている。なぜやっているかというと「試しに」である。何を試しているのかというと、自分の行動や思考を不特定多数に「一つの情報」として流した時に、一体自分がどう変わるか、また自分の周辺がどう変わるか、さらにはtwitter自体が何をもたらしているのかを感じる事が出来るのではないかというところからである。

少し前、いや、情報のスピードから言うともう一昔前か。私はBlogなるものを始めた。これもtwitterと同じ動機である。

この二つのメディアを通じた発信により私が感じているのは、良い意味で個々のコミュニケーションの距離が縮まっているのではないかという事。これは物理的距離と精神的距離共に縮めているような気がする。パソコンさえあれば、いや携帯電話があればBlogtwitterはフォローする事ができ、その個人の動きや価値観が情報として手に取ることができる。Blogが日単位ならtwitter は時間単位。その情報発信の時間的スパンが短くなれば短くなるほど、フォロー相手との距離が短く感じる。


しかしである。


その距離はフィクションなのだろうか、ノンフィクションなのだろうか? 情報には必ず操作がある。発信する側の操作である。脚色や取捨選択である。この事実はいい悪いでなく、そういった情報とはそういうものであるという事を認識しておかなければならないという事である。twitterから得る距離感は身近なものと同時にフィクションであるかどうか、受けて自身がしっかりと判断しなければならないと私自身深く思っている。


twitterする総理大臣」。我が国の総理大臣は何を考えてtwitterしているのか。国民との距離をこのツールで縮めたいのだろうか。国民に大衆化したメディアを通じて発信すれば、国民に広く理解されるとお思いなら大きな間違いだろう。そんな事解らない人間が一国の総理をしているのなら情けない話だ。


「政治は言葉」である。


政治家であるはずのあなたが、国民に対する迎合や言い訳の道具として「試しに」使わないでくださいね、リアルはどちらにあるのでしょう?政治家であるあなたならよくお解りですよね、鳩山総理。


文責:進藤勝之-02293



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