ありがとう浜村淳的パースの描き方
「さてみなさん、聞いて下さい」という枕詞から名調子で語る関西が誇る喋りスト、浜村淳。1974年から続くMBSラジオの『ありがとう浜村淳』を知らない関西人はいないだろう。バブル期にはおニャン子クラブを輩した『夕やけニャンニャン』にも出演していた。
浜村淳の最大の特徴はその独特の節回しと言葉の意味を噛み砕いて話すところにある。どんなにわかりやすい言葉でも噛み砕いて説明し、その説明が枝葉末節、全く関係のない方向へと話題が広がっていくところに魅力がある。
映画解説は独特だ。批評というよりも物語りの語り部、映画を見た気分にさせてしまう。ネタバレ等おかまいなしにエンドロールの隅っこまでしゃべり尽くしてしまう。実際の映画よりも面白い時があるほどだ。
で、さて。
『そこまで言ってしまう必要はないのでは。。。』『そこまで言ったらおしまいやん。。。』という意味でありがとう浜村淳的うんぬんという形容詞を使わせてもらっている。ここ最近の傾向として、本来であれば建築する人そのものが考えるべき領域までハウツー本なるものが出ていて、結構な値段で売られ、売れている。模型の作り方しかり、パースの書き方しかりだ。
そもそもはどうやって作っているんだろう、描いているんだろうと思いながら、見よう見まねで自分自身の力技を磨くべき創作の入り口の部分が、いとも簡単に情報開示され、それを模倣していく。
情報開示も模倣も結構なことだ。けれど僕自身は「これはいかん兆候だ」と感じている。
考え、試行錯誤すべき事柄がコピペのごとく手に入る状況は、その分野の衰退をまねく。しっかりとした形のハウツー本であればいいが、いわゆるヘタウマや作家性に依存するそれらの本は、今の建築学生や20代30代が無抵抗に受け入れていく。
以前、このようなことを仲間内で話したけれど、なにが問題なのか、なにがいけないのかわからないと言われ、逆に大ショックを受けてしまったほどだ。
今の子供は辞書を引かない。ネットや電子辞書を使う。辞書を手で繰り目的の言葉を調べ、その言葉に並ぶそれ以外の語彙を見ることによって日本語を覚えていく。それは雑学ではなく知識として沈着していくものだ。
ものづくりにはそういった面倒な作業、苦痛・痛覚に似た感覚が必要である。それに鈍感になってはいけない。
盗み模倣される与える立場にならねばならないのだ。
それを売り物にするのはどうにも許しがたい。
『建築をめぐる寓話』まであと3日
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