70年代生まれは本当にオルタナティブか?
その問いを考えるヒントとして、建築史家・五十嵐太郎氏の藤本壮介作品集「原始的な未来の建築」の文章を抜粋する。(以下抜粋文)
「・・・・1990年代の後半、アトリエ・ワンやみかんぐみなど、複数の建築家がチームを組むユニット派と呼ばれる世代が頭角を現した。1960年代生まれの彼らは都市を観察し、さまざまな状況や外在的な条件から日常性の感覚をもつ建築を導きだす。バブル経済の時代に流行した自意識過剰なポストモダンに反発したことが、こうした態度を招いたのである。ユニット派は、英雄的な建築家のふるまいや、フィクション性が強い形体操作を好まない。しかし、藤本は、ルイス・カーンやル・コルビュジェなどの巨匠を直接的に意識している。彼を含めて、石上純也、平田晃久などの1970年代生まれの建築家は、個人の活動が目立つ。彼らは、まわりの敷地を説明してから建築を組み立てるよりも、ストレートに新しい建築の原理そのものをつかみだそうとしている。そして光の見え方や複数の人の関係性など、固有の場において生起する現象に大きな興味を持つ。・・・・」
70年代生まれの僕個人の認識としても、ユニット派の世代の、主体を消していくその手法に物足りなさを感じていたことは確かだ。「私が」という主語の氾濫したポストモダン建築に嫌悪感を抱いた上の世代に対して、我々の世代は、何に対して化学反応を起こしているだろうか。表層的なものではなく理念を打ち立てることから出発することで、結果としてモダニズムを超えようとしているのか・・・。
建築・社会の動きなど同じ時代を共有するからこそ生まれるムーブメント。
建築の流れでは、伊東豊雄氏の「仙台メディアテーク」を、社会の動きでは、「オウムサリン事件」、「阪神大震災」、「情報化時代の加速」を学生もしくは社会人初期に体験したことがポイントしてよくあげられている。
22222トークセションのパネリストは、私以外は60年代後半の方々。何やら70年代生まれの代表のような立場に置かれるのでは?と不安がよぎる。70年代生まれの方にぜひ参加頂いて、後押ししてもらえればありがたい。
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