2009年7月21日火曜日

『好きな建築は何ですか?』


私にとってこの質問は非常に厄介な質問のひとつです。


『好きな』という言葉にたくさんの意味が含まれていて『なぜ好きなのか』という補足説明をしなければ容易に答えることが出来ないのです。いや、補足説明をしても『なぜ好きなのか』というその本当の意味を理解してもらうのは難しいと考えています。


建築を志したのは大学に入ってからで、まだ何をどう目指せばいいかわかっていなかったと思います。

それでも、建築を志した時に大きな影響を受けた建築との出会いがありました。


私が初めて建築を意識したのは「桂離宮」との出会いからです。大学3年の秋、初めて桂離宮を訪れました。それまでに書籍で見てはいたのですが、やはり建築や空間は実際にその場に行って体感しなければわからないもです。なんとも思っていなかった古建築のひとつだった桂離宮ですが、実際に見て初めて気がつくいろいろな美しさに大きく感じてしまったのです。


実はもうひとつ、大きな影響を受けた建築があります。

それはコルビジェの「ロンシャンの教会」です。24歳の冬、東パリ駅から電車でその地を訪れ言葉も通じないのにタクシーで「ロンシャンの教会」を訪ねました。冬の朝の深い霧靄につつまれて小高い丘にその建築はありました。訪問したタイミングが良かったのか他に誰もいなくて、ただひたすらにその場を体感したのを覚えています。

何故このような形がうまれたのか、なぜこれほどまでに光を意識することができる空間なのか、とにかくわくわくしながら舐め尽くすように見学しました。


実際に自分の建築表現にそれらの影響が直喩であらわれることはありませんが、底流にある無意識の意識には大きな影響を持っています。しかし影響は受けはしたのですが、結局、自分が目指すべき建築は、その原点を形づくっているものは、「桂離宮」や「ロンシャンの教会」といった具体的な建築ではなく、その時、その場に居た「自分の感覚」だということを今は強く意識しています。


 いつも言葉を探す。

 それでも最適な言葉が見つからずにもどかしく思うことが多い。

 それでも言葉を紡がなければ意志を伝えることができない。


建築をつくることも同じです。



文責:筑波 - 00070





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