2010年6月3日木曜日

『アニメが語り始める』トピック07

『ドラえもんの道具がすべて専用アプリの理由』

パーソナルコンピュータが普及し始めた頃、それは仕事の効率を上げて無駄な時間を減らし人間らしい豊かな時間が増えると言われていた。しかしそれとは全く正反対の方向に進んでいる。

パーソナルコンピュータがネットという大海につながり、情報端末となった今、仕事場でも自宅でもPC画面に向かい、歩きながらでも携帯電話を操作し、彼氏彼女と一緒に食事をしているにも関わらず、目を合わさずにTwitterをしながら時間を過ごすような光景は日常になった。

豊かさは結局余暇という形ではなく「より速く、効率よく」が追求されていったのと同時に、誰もが瞬時に手軽に大量のあらゆる情報を手にすることができ、また発信することが可能になる世界が構築されてきた。

豊かさの基準がどこにあるかは人それぞれだけれど、結構、それは行き着くところに向かっていっていると思う。これはとても素晴らしいことのように見えるけれど、“考えて悩む”という人間の根源である部分を後退させていると思う。

ドラえもんはどの道具もシンプルに単一の機能しかもっていない。そう全部が「専用」で汎用性がない。道具の目的がシンプルで単一、明確なところに実はとても大切な意味が含まれている。

いろんな情報が溢れる中で真実や問題、正解や誤りが見えなくなっているのは、喜怒哀楽という感情や幸・不幸、苦しみや快楽がごちゃ混ぜになってそれを取捨選択する能力が働かなくなってしまっているからだ。

大切なことは「目的や問題」をシンプルな形にし、どうすれば「達成や解決」するのか、また「何が喜びや挫折なのか」を知ることだと思う。

そういう意味で、のび太が直面する問題に対して、それを解決してくれるドラえもんの道具はシンプルで単一の機能であるべきで、それを具現化してくれるものでなくてはならない。

だから皆、のび太を憎めず、ドラえもんが好きなのだ。

ネット環境がドラえもんになり、そこから得られる情報がドラえもんの道具のようになればいいと思う。ドラえもんの道具のように、最後はたいへんな苦労を味わえるような人間的なものになればいいと思う。

文責:筑波幸一郎-004017


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