2010年6月16日水曜日

『アニメが語り始める』トピック16

「アニメ化する映画の行き着く先は」

深夜枠でアダルト向けのアニメが新作として放映されたりする今、全ての年代にアニメが提供され、それは単なる表現の一手段となった。今のシングルエイジの子供達は、僕たちが体験したものとは異なる原体験をアニメで経験している。それが時代性の違いだけであればさして大きな変化はないのだが、現実には質や内容に大きな位相が生じ、決定的な影響を与えている。

ハリウッド映画が必ずヒットするという常識が覆り、ここ数年、世界第2の市場とされる日本での興行収入が激減している。その原因はハリウッド映画のマンネリ化、スターの不在、CGへの依存などいろいろとあるけれど、最大の理由は日本人のアメリカ文化への憧憬が薄れてしまったからだ。もともと繊細で深みのある作品性を持つ日本の漫画文化やアニメ文化は、全盛時のハリウッド映画のそれに勝るとも劣らないポテンシャルを持っている。手塚治虫作品を焼直したような映画などがたくさんあったり、日本漫画やアニメの原作の映画化権を買い漁る現況を見るとまさにそうである。

しかし、残念なことにそこに登場する日本映画やアニメは、今のシングルエイジが体験してきるものではなく僕らの年代(40代)が体験してきたものに偏っている。理由はいくつかあるのだけれどアニメ・漫画・映画・小説に関わらず、今の日本はある意味、成熟し、熟し過ぎようとしている感がある。

90年代後半から失われた10年の間に進んだグローバリゼーションは、人からモノへ、モノから金へ、その価値を移行してきた。デジタル技術とIT化が人の欲望を即物化していった結果、先進国ではお金だけを追い求めることと,精神性だけを追い求めることへの二極化が進んでいる。

欧米以外で精神性を中心とした意識をもつ国民性があるのは、日本だけだ。アジアの巨龍中国は言わずもがな、インドや東南アジアなどはまだまだ戦後の日本のように物欲、経済発展を第一主義に、僕らの親の世代が経験した“かつて来た道”を邁進している。

最近読んだ本に、日本の書店で売れまくっているスピリチュアル本は他のアジア圏ではまったく売れないそうである。日本人の精神性の大きな変化が『アニメ化する映画の行き着く先』を指し示しているに違いない。


文責:筑波幸一郎-004255

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