『未来少年コナンの冒険』
早起きした土曜の朝、テレビのチャンネルをパチパチ変えていると『コナン』が放映されていた。懐かしく思い、隣にいた小学生の息子に「コナンを観るか?」と誘うと、なぜか戸惑っている。どうも、コナンはコナンでも『名探偵コナン』を想像し、それとは違うことに気づいたからだ。そこに映っていたのは『未来少年コナン』。宮崎駿監督のテレビアニメである。最終兵器によって人類が絶滅しかけた未来、そこに生きる主人公・コナンとその仲間の冒険活劇だ。ヒロイン・ラナと祖父である博士を助け、世界を守るため立ち上がる。
名探偵コナンと同様、この主人公もずば抜けた能力をもつ子供。名探偵のコナンが天才的な頭脳をもっているのに対して、未来少年のコナンは並みはずれた身体能力の持ち主だ。普通の人間なら絶対に真似できない、大怪我しそうな、時には死んでしまいそうなことをやり遂げる。しかし、超人的なヒーローが当然のようにするのではなく、「もしかしたらできるのかも」と思わせるように描かれている。
たとえば、こんなシーンがある。さらわれたラナを取り戻し、抱きかかえたまま高層ビルから飛び降りる。普通の正義のヒーローなら、着地して平然と走り去るところだが、コナンは違う。全身がしびれ、地面にくっついてしまった足を両手で持ち上げ、へっぴり腰で逃げきる。こんな様子をコミカルに描き、ちりばめられているから、痛快で面白く、そして、身近に感じた。
校舎の階段で何段目から飛ぶことができるか流行ったことがある。1段目からはじめ、4段目までは余裕だ。5段目くらいになると少し怖いが、勇気を振り絞り何とかクリアして面目を保つ。しかし、それ以降は、もうダメで、頭の中には、1段目に足が引っかかるイメージで一杯。今考えると、まったく意味のないことなのだが、その頃の僕たちにとっては楽しく、一種の冒険だった。
話の中で、科学の粋を集めたビルの一室に公園があった。そこには木々が茂り、人々が集う。しかし、それらは全て映像であり、まやかしの世界。そのむなしさは、当時の僕にも理解できた。博士は言う「人間は自然の中でこそ伸びやかに生きることができる」と。コミカルで親しみやすく描くことで子供向けのアニメに落とし込み、重要なメッセージを伝えていた。
このアニメが放映されたのは1978年。この時代、未来を描くアニメでは、最先端のロボットが活躍したり、未知の宇宙を旅したりするものがほとんどだった。科学は人に幸せをもたらすものとして肯定的にとらえられていた。それに対してこの作品では、科学の発展に対して警鐘を鳴らす。子供向けのアニメにこんなメッセージを盛り込むことは、当時としては冒険だったに違いない。コナンやその仲間と共に監督の冒険もあったに違いない。それが、今の評価につながっているように思える。本能的に冒険を求める者は、未知の世界にも挑戦し続ける必要があるということなのだろう。
文責:中澤博史-004044
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